2008年1月22日火曜日

いろいろな違い

私の職場は入院受け入れ枠最大62床の病棟。大体最近は55床くらいで落ち着いている。東京で働いていたときは52床。なので、規模としてはあまり変わらないはずだけど、スタッフの数は大きく違う。日本のときは確か70人くらいだったけど、こちらは200人以上!これでも30人くらい人が足りないみたい。改めて、日本での労働環境の苛酷さを感じます。


入院患者つまり赤ちゃんのバックグランドもまた随分日本と違います。なんといって多国籍。宗教も様々。英語が母国語でない家族も沢山。

そして私の勤務する病院はここエドモントンでも治安がよろしくない地域にあり、そのためか様々なケースに遭遇します。10代のシングルマザーや、日本ではきいたことがあっても実際には遭遇しなかった感染症のケース。あとはこちらの文化ならではなのか、麻薬使用者から生まれた赤ちゃんも珍しくないという悲しい現状。

この麻薬使用歴のある母親から生まれてくる子供は本当にかわいそう。赤ちゃんでも「禁断症状」というものが出るのです。最初にこのケースに遭遇したとき、「やけにずっと泣く赤ちゃんだなぁ」と思ったら、禁断症状でした。甲高く泣き続けて、吐いてしまう。これの繰り返し。ほんとかわいそうです。。。

こういうケースの場合、赤ちゃんに鎮静をかけていきます。そして少しずつ鎮静剤の量を減らしていくのもなのですが、母親が母乳をあけがなら麻薬を続けてしまうことも。その場合、母乳を通じてまた赤ちゃんに麻薬が伝わってしまうので、治療の意味なし。


新米の私は色々ショックを受けながら新しいことを学んでいるところです。

2008年1月11日金曜日

約1ヶ月経過

臨床での仕事が始まって約1ヶ月が過ぎた。

仕事といっても、気分はまるで学生時代の実習のよう。何をするにもすべて人に聞かないと事が進まない。物品の位置がわからない、書類の整理・処理の仕方がわからない。業務の進め方も日本のときとはぜんぜん違う。1ヶ月経ってやっとなんとなくの流れが見えてきたなぁ・・・という気分。独り立ちにはまだまだ程遠いけども。

日本でのNICUの経験があってよかったと思うことが多いけども、日本での経験がある分混乱することも。どちらがいいんだろう?

違うことは沢山ある。大きく違うのは専門職の多さだろうか。日本だと病院で働く専門職はたいてい医師と看護師、あとは助産師くらい。でも今の職場では、医師、看護師(RN)、専門看護師(NP: Nurse Practitioner)、栄養士、呼吸療法士(Respiratory Therapist: RT)、Lactation consultnt(母乳の専門家)などなど。RNの中でも更にトレーニングを受けたTransport Nurseという立場の人もいる。(*Transport Nurseは移送が必要な時に付き添ったり、医師がいない施設に出向いて蘇生を含む処置を行ったりする)

挿管(呼吸を補助するために気管にチューブを入れること)は主にNPかTransport Nurseが行い、普通の静脈からの点滴ライン確保や採血はRN、お臍からとる点滴ライン確保はNPが行うという。呼吸器の管理は主にRTが行う。栄養面のアセスメントは主に栄養士がしている(様子?)。

そこで私の疑問。


じゃぁ、医師はいったい何をするのでしょうー??


だって、オーダーの入力までうちらRNがやるのです。。。(医師はオーダーをカルテに書くまで)

まだ医師の方たちとあまり関わることもなく、よくわかりません。でも沢山いることは確か。顔写真のファイルをみると10人以上いるみたい。

これから色々探ってみます。

2008年1月3日木曜日

新年あけました

カナダでの2回目の年越し。

去年はあまり年越し気分もお正月気分もなかったけど、今年はエドモントンで友人となった人たちにお招きいただき、とっても日本的な気分で楽しく年越しと元旦を過ごせた。K&Gご夫妻、KWご夫妻に感謝です。

自宅では最近通ったばかりのテレビがつけっぱなし状態。別に見ているわけでないのだけど、なんとなくつけてしまう。なければないで観ないテレビだけど、あるとこうなってしまう。。。

ここ最近のニュースで話題はケニアの大統領選挙をめぐっての暴動。年末からどんどん状況が悪化している。罪のない人たちが血を流し、死亡している。今日のニュースでは、教会に逃げていた人たちが焼き殺されたという。子供も含まれていた。

だれもが理不尽だとおもっている今の状況。でもどうにも止らない。現地時間の3日にまた大きなイベントがあるということで、状況が悪化する可能性がある。

大統領選挙の2人の勝ち負けが原因でここまで火がが広がってしまっている。何が正しくなにが間違いは、100%わからないけども、罪のない人たちがこんなにも傷つき・亡くなっている状況を、選挙に勝った人・負けた人はちゃんと考えているのだろうか?

2008年1月1日火曜日

2007年を振り返る

本日12月31日。日本はもう年明けだけど、こちらエドモントンはマウント・タイムゾーン。まだ昼間です。ということで、1年を振り返ってみる。

1月

アルバータ州の看護協会に申請する書類準備。書類の一つに翻訳が必要で、翻訳家のYuさんにであう。このYuさん、その後私のエドモントン・ライフでは重要人物となる。requirementの一つである英語のスコアをTOEFLでとるために準備を続ける。

2月

たしか1月終わりか2月くらいに看護協会に書類を提出したような・・・・?TOEFLを3月に受けるべく、引き続き引きこもりながらTOEFL対策。しかし、日々引きこもり、雪ばかりの景色をみてブルーになりがち。Yさんを通じ、Yoさんとも友人となる。

3月

アルバータ大学の公衆衛生に東アフリカでHIV・AIDSに関するリサーチをしている先生を発見。急遽会って、大学院申請をしてみることに。長く短かった準備期間約1週間では色々な経験をした。結果は不合格だったけど、このときの申請プロセスでは貴重な経験を沢山して悔いは全くなし。

4月

1ヶ月東京に帰る。両親と温泉にいったり、韓国旅行、関西旅行と旅行尽くし。美味しいものも山盛り食べて、日本を満喫。数年ぶりの桜も満喫。日本のよさを沢山実感しながら、後ろ髪惹かれる思いで、再びエドモントンに戻る。

5月

エドモントン不在だった間にアルバータ州の看護協会から「Graduate Nurseとして働いても良い」「Canadian RN examを受ける資格あり」との通知を受ける。まずは試験勉強のための問題集を購入。しかし、最初に本を開いたときは1問とくのに数時間かかるというレベル。英語の医療単語やシステムのちがいにちんぷんかんぷんで固まる。。。

就職活動はなにから始めていいのやらさっぱりで、10月の試験が終わってから考えよう、、、と思ったいたところ、友人Yoさんのご主人に「ビザのことは時間がかかるから、早く動いたほうがいい」というアドバスがあり、動くことに。とりあえず、色々な機関に突撃訪問したり、電話したり。その中から今の雇用主であるRegional Health Authorityの人事課から連絡があり、簡単に面接。レジメを渡して、連絡待ちとなる。

6月

居候先でのトラブルからかなり落ち込む日々。就職先となりそうなところ(NICU: Neonatal Intensive Care Unit)から面接の連絡がある。無事面接をするも、プライベートではすっきりせず、日本に帰ることを99%決める。しかし、その直後また気を取り直し、エドモントンに留まることをきめる。そして居候生活から抜け出すことをまず第一として、インターネットで探したルームメイトのところへ引っ越す。

7月

素晴らしい夏の気候のもと、ひたすら図書館通い。気付いたら、7月。RNの試験対策がほとんど出来ていなかったことにあせりを感じ、あと3ヶ月とあせりながら勉強をはじめる。同時に就職がほぼ内定、ということでビザの情報収集を始めるも、ビザなしの身分から、カナダ国内でビザ獲得という情報があまりないことに気付く。友人Yoさんとご主人に沢山相談に乗ってもらいながら、ひたすら情報収集。

8月

就職がどうやら本当に決まったということで、更に必要な書類集めへ。日本の両親に日本の書類に関して沢山助けてもらう。カナダで医療者として働くには健康診断を受けなければいけない、ということで、移民局指定病院に電話をかけまくるも、連絡がなかなか取れない状況にイラつく。しかし、結果運よく、8月中に受診できることに。この健康診断がこの時期受けられなかったら、実際のビザ獲得、仕事開始はおそらく2008年以降になっていただろう・・・

9月

試験まで1ヶ月。ビザのことでストレスフルな日々を送りながら、ひたすら図書館通い。とにかく必死だったことしか覚えていない。

10月

10日に無事試験を受ける。無我夢中で試験問題をほとんど覚えていないが、Clinicalなことより、「この状況ではどの選択肢がベストか?」といった問題ばかりが目に付いた。ひたすら英語を読み続け、計7時間約300問の問題を解き終えたのは試験終了の合図がなる直前。見直しもまったくできず、放心状態で帰宅。たぶん2007年で一番疲れた日だったような。

試験の翌日、だめもとで健康診断の結果が移民局のシステムに入ったかを確認したら、なんとシステムに入っていたことを確認。驚きながら、次の行動を模索。どうやらシアトルまで行かないといけないらしい、というこで、急遽シアトル行きの準備。

シアトルでの申請に持っている書類をすべて持っていって大正解。当初提出するはずだった書類以外にも提出を求められて、ドラえもんのポケットのように次々といわれる追加書類を提出。そして無事ビザのapprovalをもらい、安心したせいか、エドモントンへの帰路から熱発。エドモントンで入国の時、無事Work permitをもらうが、熱のせいで感動もいまひとつ。ずっと持っていた10月20日バンクーバー発成田行きのチケットを19日にキャンセルを終えて、ひたすらそのあとは休養。

無事ビザが取れたことを雇用主と病院に報告。仕事開始日が11月26日と決定。

11月

通勤環境を良くしたい為、引っ越すことに。住宅事情が非常に悪い(質が悪く値段が高い。かつ物件がない)中、通勤にとても便利な場所で、値段もまずまずのアパートを見つけて無事入居。前の入居者がとんでもなく荒らしたため、ほぼ全部改装されてラッキー。古いアパートだけど、最上階(といっても6階)の東南角部屋の景色を日々眺めて癒される。

引越し前後にYuさんを通じて新たな友人Yaさんとの出会い、そして引越しを通じて知り合いが増えていく。

26日から職場でオリエンテーション開始。学生並みに勉強の日々。

30日。RN(Registered Nurse:看護師)の試験結果が合格と届く。言葉にならないうれしさだった。

12月

座学のオリエンテーションを終えて、いよいよ臨床へ。プリセプターについてもらい、日々新しいことを学ぶ新鮮さを楽しむ。12月はとにかくあっという間に時間が過ぎて、気付いたら本日31日。



ここ数年、1年を振り返ると「今年は怒涛だったなぁ・・・」といつも思うが、今年はかなり大きな転機だった。数ヶ月前まで職なし・ビザなしだった私が、今は看護師として病院で働いてお給料をもらい、生活している。

この1年、沢山の人たちに、沢山サポートしもらって今の自分があります。


皆さん、どうもありがとう。