2008年7月22日火曜日

残念なニュースとうれしいニュース

去年のエドモントンは6月7月と快晴続きで「これぞエドモントンの夏!」という湿気の無い気持ちのいい夏だった。でも今年は雨が多くってなんだかグレーな景色が多くって。。。でもこの数日はやっと気持ちよくはれて夏らしい日々です。

うちから見えるお隣の20階立てくらいのコンドミニアムのバルコニーでは夕方、BBQをしてたりなにやら美味しそうな物を飲んでいたり、という景色が見えます。多少陽が短くなったといえども、夜の10時くらいまで明るいエドモントン。夏のパティオ・バルコニーでBBQ&ビアは最高だろうなぁ~と眺める私。そんな光景をみながら翌日の仕事に向けて早々に寝ているHadijaでした。。。



数日の休みを終えて出勤した金曜日の日勤。残念なニュースが。前回書いた(おそらく)Surfactant Deficiencyの男の子、私の休日の間亡くなっていました。酸素をいくら上げても、サーファクタントもステロイドも効かず、最後は両親が抱っこするなか、呼吸器を止めて、亡くなったそうです。


悲しいことも沢山ある職場ですが、うれしいこともあります。


急性期で独り立ちをして間もなかったころ受け持った24週生まれの男の子。前の日記でも少し触れたこの子は、生後数週間で腸穿孔を起こし、頭は出血後水頭症となりました。生死をさまよったとき、両親と医療チームが「場合によっては呼吸器も含めて治療をとめていく」ということも話し合ったのですが、奇跡に近い回復をして、今では呼吸器は取れてCPAPの補助を受けながら、少しずつ大きくなっています。

この男の子のお母さん、私を見かけるといつも元気よく話しかけてくれて、赤ちゃんの様子を教えてくれます。体重が1キロを超えたとき、腸穿孔のあと、母乳が飲めるようになったとき。初めてのウンチが出たとき。呼吸器が取れたとき。そして昨日はもう一つ大きなニュース。「点滴が今日はじめてとれるの!」と報告してくれました。点滴がなくても、経管栄養(お母さんの母乳)で栄養が取れるようになり、消化もできているということです。大大大進歩です。


体重は今、1.5キロくらい。まだ小さいけども、確実に大きくなっています。次なる目標はCPAPが取れて、母乳を直接飲めるようになることです。

2008年7月16日水曜日

双子ちゃんのその後

昨日の朝、連勤終了。夜勤後昼寝をして、夜は久々にサッカー参加(交代要員として)。なれない運動をしてただいま筋肉痛の始まり。ピークは明日なんだろうなぁ。。。

夜勤3日目は前回書いた29週?か26週か?という双子ちゃん二人とも担当。相変わらず二人ともおなかはパツパツ。でも、少しソフトに感じるかなぁ、というところ。二人ともミルクを3時間おきに0.5mlの経管栄養。

しかし、お姉ちゃんのほうはまたもや嘔吐。今度はミルク様の残渣ではなく、かなり濃い緑色。うーん、いやな感じ。妹のほうは何度か緑色のものが出てくることもあったけど、お姉ちゃんは始めての緑色の嘔吐物ということで、リーダーさんに報告。次回のミルクは30分後だったので、「I am not comfortable to feed her。。。。」と伝えたら研修医に報告してくれて、研修医登場。医師によってはそのままミルクをおし進めるのだけど、この研修医に「私はミルクこの子に今夜もうあげたくない。おなかの音も弱いし。。。」と伝える。研修医も同意してくれて朝まで禁乳にして様子を見ることに。ほっ。

この夜は双子ちゃんの両親と4人のお兄ちゃんたちが面会にやってきました。お父さんは週末だけここの街に戻ってきて、平日は車で北に数百キロ行ったところの街でオイル産業に関わっている人。数時間後に仕事に戻る前にみんなで面会にやってきました。

4人のお兄ちゃんたちは、小さな妹を見て大はしゃぎ。お母さんがカンガルーケア(赤ちゃんはオムツだけ。お母さんにも上半身下着・服を脱いでもらい、ガウンだけ着た状態で肌と肌で触れ合う抱っこをすること)をしている間、お兄ちゃんたちは妹に触る(というよりも、つっつく・・・)お母さんが静かに!といっても効果なし。小さな小さな妹をみて不思議でたまらないみたい。3歳から7歳までの4人のお兄ちゃんたち。ある程度の話は理解できそうで、「この小さな赤ちゃんは、音や触られる刺激にとっても敏感だから、お兄ちゃん一人ずつ優しく触ってあげてね」と何度か説明して順番にさわりっこ。そして、妹がぱちりと目をあけたら、みんなとっても不思議そうに眺めていた。

消化の状態はこの双子ちゃん、二人とも似た感じで注意が必要だけど、呼吸は二人ともだいぶ落ち着いてきて私の勤務帯はApnea(無呼吸)がかなり減った。このままゆっくりと順調に進んでもらいたいものだ。



この3夜勤の受け持ちではなかったけど、同じ部屋にいる男の子。36週で生まれて、原因不明の呼吸状態の悪化。生後数日後から挿管されて、そろそろ3週間目。抜管できず今まで経過。診断は確定ではないけども、おそらくSurfactant deficiencyではないか、ということ(サーファクタント:界面活性剤。肺を広げるために欠かせない物質)。

毎日のようにサーファクタントを投与されているものの、最近はその効果があまり見られなくなり、必要とする酸素量はどんどん上がってきている。私が1週間前に受け持ったときはサーファクタントを使うと必要酸素が30~40%だったのが、この夜勤の間はサーファクタントを使っても70%前後、もしくはそれ以上必要としている。覚醒すると酸素飽和度が一気に低下するため、モルフィネとクロラールをあわせて使い沈静をかけている。それでも体位変換やおむつ交換では負担が出てしまうため、酸素飽和度が一気に下がる。ケアには最低2人以上の人手が必要。

この病気はとても珍しく、かつ予後がよくない。現在サーファクタントとステロイド療法を行っているが、効果はこの数日かなり薄くなってきている。両親は毎日面会にきて、交代でカンガルーケアを行っている。そして毎日いろいろなことを赤ちゃんに話しかけて、いつもやさしいキスをしている。でも表情はいつも厳しい。

この赤ちゃんの両親は二人とも医師。厳しい現実を私たち以上に受け止めていて、つらいことだろう。

この家族に先日私はバスに乗るところを見られているそうな。それも予定より早くバスがやってきて、それを見つけた私が「これに乗り遅れたら遅刻だぁー」という勢いで思いっきり走っていたところを。。。

その日ちょうどこの赤ちゃんの受け持ちの日で「さっきバス停のちかくで必死に走っていたでしょ」と笑われた。いつも険しい表情だけども、こんなネタで笑ってくれてよかった。

2008年7月13日日曜日

29週?26週?双子ちゃん

ただいま3夜勤の合間。いままでこのブログの更新を怠っていたけど、覚書のつもりで思い立ったらすぐ更新を目指しているところです。

昨晩の受け持ちは双子のお姉ちゃんのほうともう一人は27週生まれの男の子。男の子のほうは点滴もなく、口からのチューブでミルク(お母さんの母乳に多少栄養を加えたもの)を1時間に7.5ml持続注入しながら体重が大きくなるのを待っているところ。

そして、双子ちゃん。超音波では29週ということだけど、お母さんの最終月経からすると26週になる。でも呼吸の状態からおそらく29週に近い出生と思われる。

呼吸はCPAPと呼ばれる補助装置を使いながらなんとか過ごしているものの、問題はおなか。鼻から空気が持続的に送られるせいもあるけども、いつもおなかがパンパン。1時間おきくらいにOGチューブ(口から胃に入れているチューブ)から空気を抜くものの、おなかのパツンパツンはかわららない。栄養がまだ十分取れないため、お臍の静脈から点滴を投与しています。

この双子ちゃんのお母さん。HIVポジティブというこどで、母子感染予防のため母乳での栄養はできません。なので、栄養は人工乳で数日前から開始。でも、人工乳では消化の負担が大きいためか、お通じはいまひとつちゃんと出ず、おなかに腸の蛇行も見えている。。。

昼間の医師らの回診で経管栄養を続けていくかディスカッションにあがったらしいけど、そのまま続行となる。ここでの栄養の進め方は私としては非常に疑問を多々感じる日々。。。。私にできることといったら、おなかの空気をこまめに抜くことと、お通じを促すために小さな座薬をまたさらに切って極小座薬(グリセリン)を使うくらい。。。(日本でやっていたようなガス抜きや液体のグリセリンはここでは使わない。使えない??)

そして朝方、突然徐脈とサチュレーション(空気飽和度)の低下を伴う嘔吐。嘔吐色は黄色だけど、おなかはさらにパツパツ。すぐにリーダーさんに報告。研修医がやってきて診察。そしてレントゲンオーダー。写真上、Free airなるものはないものの(これが見られると腸管穿孔したことになる・・・)腸管はかなり拡大。NPO(禁食)となり朝までOGチューブを開放して空気をドレナージすることに。

おそらく今夜の受け持ちも同じと思われる。おなか、よくなっているといいなぁ。。。

2008年7月12日土曜日

27週の双子ちゃん

最近双子ちゃん多いです。

昨日・一昨日と受け持ったのは自然双胎。27週で生まれて昨日で生後約3週目。

お兄ちゃんのほうはもう点滴もなく、お母さんの母乳に補助的な栄養剤を追加して体重がゆっくり増えているところ。まだ呼吸状態は安定しておらず、CPAPという呼吸補助を使いながらすごしています(注:CPAP:鼻マスクから持続的に空気を送り込み、圧力を通じて気道を広げる)。

弟君のほうは、10日ほど前から感染症にかかり状態が不安定。この子もCPAPを酸素を25%くらい使いながらだけど、呼吸状態が不安定。一昨日初めて受け持ったときに「なんだかちょっと皮膚の色がすくんでいるなぁ」と思っていたら極度の貧血が血液検査でわかり、輸血を20ccほどしました。最初お母さんは「輸血なんて怖い・・・私の血を使えないの?」「輸血が原因でHIVやほかの感染症の危険はないの??」と不安が大きかったけど、大ベテランのナースに助けてもらいながらお母さんに輸血の必要性を説明。最後は安心してもあり、輸血ができました。輸血後は皮膚の色がピンクになり、すこし呼吸状態も落ち着き、ほっとしたところ。

昨日の朝また受け持ったとき、「昨日輸血した割りに、やっぱり活気がいまひとつ?」と思いながらでも私が触ることに「触らないでー」というように手足を動かしてはいたものの、はやり気になる反応。

午前中に医師を含めた回診。いろいろディスカッションを重ね、抗生剤を一つ追加して土曜日まで血液検査はせず様子を見ることに(もう採血しすぎて血管がつぶれて採血がとても困難なため)。小さい体に採血のあざだらけで、本当にかわいそう。。。

そして午後。だいぶ活気がなくなる。オムとを換えても反応いまひとつ。そして午後。突然しつこい徐脈とサチュレーション(空気飽和度。通常88%以上目標のところ、60-70%まで低下)の低下を伴う無呼吸の連発。自発呼吸を促すために刺激したりCPAPの酸素を上げても、反応がいまひとつ。すぐにリーダーさんに報告して、Nurse practitioner:NPがやってきて診察。NPは10分くらいその場で赤ちゃんを観察して「うーん、挿管しよう」ということで、挿管へ。

挿管のとき、日本とまったく違うのが、ここでは沈静をかけて挿管します。ばたばたと薬を準備して、投薬はNPの指示のもと、受け持ちの私がIV(点滴ラインから)。こういった場面にはまだ慣れていない私だけど、昨日一緒に働いたメンバーがとてもいい仲間たちで、沢山サポートしてもらいながら無事挿管。気の合う仲間と仕事ができるって、ホント重要。

夕方やってきたご両親。ちょっと心配そうだったけど、挿管して呼吸が落ち着いている姿を見て少し安心したみたい。この日は状態が落ち着いているお兄ちゃんをお父さんが抱っこ。カンガルーケアといって、お母さん・お父さんの肌にオムツだけつけた赤ちゃんを抱っこしてもらいます。このカンガルーケア、挿管している赤ちゃんでも、状態がある程度落ち着いていると積極的に促していきます。そして今の職場では両親は「Visitor」ではなく「Parents」ということで、24時間いつでも面会自由で、滞在時間も自由。カンガルーケアも日中・夜問わず、いつでも行っています。この柔軟さはここでのケアのよい点です。

2008年7月7日月曜日

すっかりご無沙汰

日記をサボっていたHadijaですが、元気にやっております。

慢性期レベルのケアでは数ヶ月前に独り立ちをして、その後急性期レベルでも5月末に独り立ちをしました(前に質問があったのですが、急性期レベルとは重症度が高く、主に呼吸管理や循環状態を補助する薬などを使う赤ちゃんたちのケアです)。

本当は、この日記では日々の仕事の振り返りと少しでも自分の経験をほかの人とシェアできたら、と思い始めたのだけど、相当サボっているので、本日は少々要約しながら最近のことなど書いてみようかと。

<今の職場環境のすばらしいこと>

先日、Lactation専門(母乳育児のエキスパート)のNP(Nurse Pactitioner:大学院卒の専門看護師)による職場での勉強会がありました。これに参加するのにちゃんとお給料が支払われ、休みの日でない場合は、「勉強会参加のための有給」と振り返られます(ただし、勤務日の場合は人数の調整がつく範囲での振り替えとなる)。私は幸い休みだったので、簡単に手続きをして勉強会参加。

この「勉強会参加のための有給」は一年で3日間各自にあり、これを学会出席やなにかの資格のために使うなど、各自に任されています。ちなみに学会などにいく場合、自分が発表者でなくても、交通費や参加費など、看護組合や看護協会、もしくは病院で予算がすでに組まれていて、かなりの確立であとから払い戻されることが多いとか。次回大きな学会がワシントンDCであるとかで、今から同僚たちは申請計画をしています。ちなみに前回(前々回?)はラスベガスだったそうな。

私ももうちょっとなれてきたら、そんなことを計画してみようかなぁー

<ベット数縮小>

ただいまこちらカナダは夏真っ盛り。夏はみんなが楽しみにしています。だって、冬は寒すぎるから。。。夏は仕事をしない人が多いので、スタッフの数も減ります(日本で言うパート勤務の人たちがかなり経ることに加え、休暇をとる人が多いため)。

働くスタッフが確保できないのでなにが起こるかというと、ベット数縮小。満床62のところ、今は55となっています。満床以上のこともあるけど、そういう時は管理職レベルの人たちが調整。働く側が安全に仕事をできることをまずは優先。

病院内で生まれるケース、同じ地域からの搬送は満床でも受け入れるけども、北のほうのいわゆる「準州」といわれる地域からの搬送はほかの州に回してもらうそうな。


<最近の印象的なケース>

なんだか重症度が高いです。立て続けに24週、25週、26週レベルの赤ちゃんが沢山生まれました。この1ヶ月くらいの間。26週の自然三つ子ちゃんもいます。

・24週うまれの男の子

私が独り立ちしてすぐのころ、24週の男の子がうまれました。この子は生まれて数日は典型的な治療コース(挿管しての呼吸管理、昇圧剤、電解質・血糖管理、その他もろもろ)を経た後、順調に進み・・・と思いきや、腸管穿孔を生後2週目におこし、同じころ頭の脳質拡大も著名に見られて、という厳しい状況でした。

でも、なんとなく強いなぁ、と感じがあったこの男の子。両親は「もしだめなときは蘇生しなで、自然に任せてほしい」というところまで話があったけども、復活。まだ呼吸状態は落ち着かないものの、少しずつ大きくなっています。頭のほうは水頭症を起こしているので、毎日頭のお水を抜きながらだけど、それなりに落ちついてきました。

この強い男の子。お母さんも強くしっかりしています。「この子は小さいけど、とても強い力を持っているんだと思う。この子がこれだけ強いんだから、私も強くならないと」と、強い目線にいつも笑顔。

腸管穿孔といえば、こちらではかなりの頻度で遭遇します。。。現在55床のところ、小さなストマをもつ子は3人(4人かも?)。1キロにも満たない赤ちゃんのおなかにあいているこれまた小さな穴。。。ストマバックも当てたれないほど小さなおなか。。。これからの道のりが長いなぁ。

・大きな赤ちゃん・・・!

少し前だけど、5キロ近い体重の赤ちゃんが生まれました。それも経膣分娩。結果赤ちゃんは肩に骨折。痛み止めに最初の数日モルヒネを使うものの、両親は「ミルクは絶対に使わない。母乳のみ」ということで、モルフィネを徐々に減らして、母乳の練習へ。といっても、おそらく肩の痛みと、まだ分泌がすくないおっぱいに赤ちゃんの不満↑↑。。。

おっぱいがでないので、夜勤中にあるナースが何回かミルクをあげたところ(必要な水分は点滴で投与されていたものの、満期で生まれた赤ちゃんがそれだけで満足できるわけがない・・・)、それを翌朝しった両親大激怒。ミルク(母乳以外のもの)に対してかなりの不信感があるようで、「ミルクを飲ませろといった医者の名前はだれだ!」「どのナースが実際に飲ませたんだ!!」とものすごい剣幕で私たちを攻め立てる。

こういう責任問題は上の人に任せて、とりあえず私の受け持ちの間、授乳を練習するものの・・・私のかかわりにはさっぱりなようで、同じ部屋にいる同僚にヘルプを求める。が、その同僚のかかわりにもほとんど耳を貸さない両親。そして「Lactation professionalを呼んでほしい!」の一点張り。どうやら普通のRNという立場のNsは信用できない様子。

話を聞いていると、どうやら出産前から医療者に対して不信感は募っていた様子。帝王切開だったら、肩の骨折も起こらなかっただろうしなぁ。