2009年11月25日水曜日

久々の重症

先週は久々に仕事で落ち込む日々でした。

先週のある一晩、突然26週の未熟児ちゃんの入院がありました。院内で産まれて、直ちに挿管、エピネフィリン気管内注入、CPR(心肺蘇生)必要で、分娩室からNICUに上がってくる前に状態がかなり不安定でなかなか移動もできない状態でした。

なんとかNICUまでたどり着いた時、心拍はかろうじて100-120/分(心拍低め)、酸素飽和度はモニターできない状態で数字がでたところで20-40%(100%O2投与で)というところでした。

今の職場で仕事はじめて、初めて重症+超未の入院受け入れ担当でした。今までも入院担当はあったけども、運よく状態が安定しることが多かったような。あと、28週以下の担当は本当に幸運にもあまりあたらずきていました。あってもとても状態がよかったり。

入院直後直ちにUAV(臍動脈ライン)とUVC(臍静脈ライン)をNP(Nurse Practitioner)が確保し、その間On callの新生児科Drが到着。Drが投与薬剤や輸液、呼吸管理の細かい指示を出して生きます。サーファクタント(界面活性剤。未熟児の未熟な肺を広げるために欠かせない薬)が投与されても呼吸状態は改善せず、一酸化窒素による呼吸管理が始まりました。

と、このどたばた入院の直後にまたさらに重症赤ちゃん(25週)が他院でうまれ、搬送されてきました。こちらは私が担当した赤ちゃんよりさらに重症な様子でした。。。

どたばたの中で行きかう指示・変更。

ここで痛感したのが自分のCommunication能力。。。

こういった緊張感ある場面で、かつ英語で的確に内容を理解してすばやく処理していくことに課題。どーんと目の前に立ちはだかっています。

2009年11月15日日曜日

永住権

11月9日、カナダの永住権がとれました。待つ間はながーく感じてたのですが、終わってみるとあっさりです。

最後のプロセスはLandingという、カナダに入国する時に晴れて「移民」となります。私の場合、カナダ国内で労働ビザを持ちながらの滞在中だったので、近所の移民局に行って国内でのLandingとなりました(国外にでて再入国という必要が無かった)。

最後のLandingでは質問をいくつかされる、と聞いていたのですが、部屋に入って最初に聞かれたのが

「Do you have any question?」でした。

特に無かったので、数分で手続きは終了。


あとで気づいたのですが、初めてカナダに来たのが2006年11月7日。なので、ちょうど3年目にして永住権が取れたことに。そして11月9日はエドモントンでの家族のようなお友達Yさんのお誕生日。ダブルで記念日となりました♪この永住権申請に関してはYさんのご主人Vさんにもたーくさんアドバイスをいただきました。弁護士無しでこの申請をできたのも、YさんとVさんのおかげです。本当にありがとうございました!!

参考までに私の申請申請プロセスを紹介してみます。

2008年10月 AINP(Alberta Immigrant Nominee Program)へ申請開始。

2008年11月 AINPから受理の連絡がくる。 その後、日本・タンザニア・ケニアの警察証明取得のため奔走。

2009年3月  警察証明がすべてそろい、Federal Skilled Worker under AINPという形で永住権申請。(アメリカBuffalo。なぜBuffaloだったか私にはよくわからず。雇用主と・アルバータ州からBuffaloへ書類送るようにという指示だった)

2009年6月 Buffaloのカナダ領事館からファイルナンバーが届き、同時に健康診断を受けなさいと指示される。その直後に「あなたのファイルはNew Yorkオフィスに転送されました」とNew York の領事館から連絡がくる。6月末に健康診断にいく。実費で300ドル以上。。。

2009年9月 NYオフィスからパスポートリクエストがくる。オリジナルのパスポートををFedexで送る。戻ってくるまで数週間と思いきや、翌週にビザ付きパスポートが帰ってきた。これで99%プロセス終了。あとはLandingのみ。移民局に問い合わせたところ、11月9日のLandingが予約された。

2009年11月9日 エドモントン市内の移民局でLanding終了。パスポートに張り付いていた労働ビザをあっさり取り上げられ、ちょっとこころのこり。記念にとっておきたかったのだけど。 

これですべて終了、と思いきや、あと一つ重要なものを待つことに。

永住権は取れたのですが、永住権のカードがないと、今後カナダに再入国できないのです!Visitorであればパスポートだけで入国できるのに、なんだか不思議です。