2009年12月14日月曜日

寒いです・・・

本格的な冬がやってきました。

昨日の最高気温は-29度。マイナスです。プラスでないです。。。

今朝起きた時はなんと-37度。この冬一番の冷え込みなようです。

水曜日は-13~-18度にあがるとか。


待ち遠しいです。。。

2009年12月2日水曜日

Stem cells could help lung development in premature babies

職場の新生児科医であるDr. Thebaudの記事が地元のEdmonton Journalに載りました。

http://www.edmontonjournal.com/health/Stem+cells+could+help+lung+development+premature+babies/2275673/story.html

今はまだネズミで実験段階ですが、近い将来臨床での展開となりそうです。

turning off

最近は本当に重症続きでした。

前回ブログに書いた26週で産まれた赤ちゃんは残念ながら生後数日で亡くなりました。あとから聞いた話ですが、Turning off(治療をすべてとめる)での最後だったそうです。最近はこの赤ちゃんだけでなく、ほかにもTurning offのケースがありました。

このTurn offというのが正しい英語かはさておき、現場ではよく使っています。いまの職場では、予後がかなり不良というがわかると家族と話し合いを行い、治療をとめるということがあります。呼吸機を使っている場合、それをとめます。点滴もすべてとめます。そして両親に抱かれて最後を迎えるという方法が一般的です。

この良し悪しは場所が変われば考え方も変わるでしょう。ちなみに、日本のNICUで働いていた時はTurn offということは経験したことがありませんでした。なので、最初のころはかなり驚きました。重度の障害を抱えて成長していく子供をどう育てていくか、医療者が助けたいと思っても、最終的に関わっていくのは家族です。その家族の負担を考えるとTurning offという選択肢はあってもよいのだろう、と最近は思うようになりました。

2009年11月25日水曜日

久々の重症

先週は久々に仕事で落ち込む日々でした。

先週のある一晩、突然26週の未熟児ちゃんの入院がありました。院内で産まれて、直ちに挿管、エピネフィリン気管内注入、CPR(心肺蘇生)必要で、分娩室からNICUに上がってくる前に状態がかなり不安定でなかなか移動もできない状態でした。

なんとかNICUまでたどり着いた時、心拍はかろうじて100-120/分(心拍低め)、酸素飽和度はモニターできない状態で数字がでたところで20-40%(100%O2投与で)というところでした。

今の職場で仕事はじめて、初めて重症+超未の入院受け入れ担当でした。今までも入院担当はあったけども、運よく状態が安定しることが多かったような。あと、28週以下の担当は本当に幸運にもあまりあたらずきていました。あってもとても状態がよかったり。

入院直後直ちにUAV(臍動脈ライン)とUVC(臍静脈ライン)をNP(Nurse Practitioner)が確保し、その間On callの新生児科Drが到着。Drが投与薬剤や輸液、呼吸管理の細かい指示を出して生きます。サーファクタント(界面活性剤。未熟児の未熟な肺を広げるために欠かせない薬)が投与されても呼吸状態は改善せず、一酸化窒素による呼吸管理が始まりました。

と、このどたばた入院の直後にまたさらに重症赤ちゃん(25週)が他院でうまれ、搬送されてきました。こちらは私が担当した赤ちゃんよりさらに重症な様子でした。。。

どたばたの中で行きかう指示・変更。

ここで痛感したのが自分のCommunication能力。。。

こういった緊張感ある場面で、かつ英語で的確に内容を理解してすばやく処理していくことに課題。どーんと目の前に立ちはだかっています。

2009年11月15日日曜日

永住権

11月9日、カナダの永住権がとれました。待つ間はながーく感じてたのですが、終わってみるとあっさりです。

最後のプロセスはLandingという、カナダに入国する時に晴れて「移民」となります。私の場合、カナダ国内で労働ビザを持ちながらの滞在中だったので、近所の移民局に行って国内でのLandingとなりました(国外にでて再入国という必要が無かった)。

最後のLandingでは質問をいくつかされる、と聞いていたのですが、部屋に入って最初に聞かれたのが

「Do you have any question?」でした。

特に無かったので、数分で手続きは終了。


あとで気づいたのですが、初めてカナダに来たのが2006年11月7日。なので、ちょうど3年目にして永住権が取れたことに。そして11月9日はエドモントンでの家族のようなお友達Yさんのお誕生日。ダブルで記念日となりました♪この永住権申請に関してはYさんのご主人Vさんにもたーくさんアドバイスをいただきました。弁護士無しでこの申請をできたのも、YさんとVさんのおかげです。本当にありがとうございました!!

参考までに私の申請申請プロセスを紹介してみます。

2008年10月 AINP(Alberta Immigrant Nominee Program)へ申請開始。

2008年11月 AINPから受理の連絡がくる。 その後、日本・タンザニア・ケニアの警察証明取得のため奔走。

2009年3月  警察証明がすべてそろい、Federal Skilled Worker under AINPという形で永住権申請。(アメリカBuffalo。なぜBuffaloだったか私にはよくわからず。雇用主と・アルバータ州からBuffaloへ書類送るようにという指示だった)

2009年6月 Buffaloのカナダ領事館からファイルナンバーが届き、同時に健康診断を受けなさいと指示される。その直後に「あなたのファイルはNew Yorkオフィスに転送されました」とNew York の領事館から連絡がくる。6月末に健康診断にいく。実費で300ドル以上。。。

2009年9月 NYオフィスからパスポートリクエストがくる。オリジナルのパスポートををFedexで送る。戻ってくるまで数週間と思いきや、翌週にビザ付きパスポートが帰ってきた。これで99%プロセス終了。あとはLandingのみ。移民局に問い合わせたところ、11月9日のLandingが予約された。

2009年11月9日 エドモントン市内の移民局でLanding終了。パスポートに張り付いていた労働ビザをあっさり取り上げられ、ちょっとこころのこり。記念にとっておきたかったのだけど。 

これですべて終了、と思いきや、あと一つ重要なものを待つことに。

永住権は取れたのですが、永住権のカードがないと、今後カナダに再入国できないのです!Visitorであればパスポートだけで入国できるのに、なんだか不思議です。

2009年6月9日火曜日

重症続き

プレッシャーのもとリクエストしている急性期チームでの仕事。5月はきつかったです。。。

沢山大変な受け持ちが続いたけど、忙しさだけでなく自分の精神衛生上にもきつかったケースを一つ紹介。

36週で産まれた女の子。お母さんは30代で今回は3人目の出産。精神科既往が色々あるらしく(くわしくはわからないのだけど)妊娠中沢山の抗精神薬を内服していました。そしてなにかの「痛み」ようにMethadone(メタドン:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%83%89%E3%83%B3)という薬も内服していました。妊娠中にこの赤ちゃんにもしっかり移行して、生まれてきてからWithdrawal syndrome(離脱症状)に苦しむこの赤ちゃん。

私が受け持った時は3日目で、モルフィネの内服をしていましたが、一向に聞かない様子で、ものすごい甲高い声で泣き叫ぶ。私は大人の麻薬中毒のひとも見たことは無いですが、本当にかわいそうです。ミルクを飲みたくても上手に飲めません。のんでも吐いてしまいます。おまけにビリルビンの値もかなり高く(黄疸)、それに対して光線療法を行うので、さらに悪循環(*落ち着かない赤ちゃんには服をきせたり、おくるみで対処したりするのですが、光線療法をしているとオムツ一枚でないといけない)。

この日はこのWithdrawal syndromeにくるしむ赤ちゃんに加えて、胸水がたまっている赤ちゃんも受け持っていて(かつ敗血症なので、投薬やら検査がてんこ盛り)もう一杯一杯のHadijaでした。ちなみにこの胸水がたまってチェスト・チューブが入っている赤ちゃんは生まれて1ヶ月、ミルクものめず、こちらも時々泣き叫ぶ。。。(でも持続でモルフィネが投与されているので、ずっと泣くわけではない)

そんな私に追いうちをかけたのが、このWithdrawal syndromeの赤ちゃんのママ。相当な貧血状態でもありまだ産褥棟に入院中。体調がいまひとつなので、NICUに赤ちゃんに会いにくるのも大変だということで、時々電話をしてきます。

しかし、この電話の対応がまた大変。非常に攻撃的なのです。。。。日本語に直訳できないのですが、大まかにまとめると、私たち医療者は赤ちゃんの親である彼女に大事な情報を伝えない(でも情報収集は親に責任がある。お母さんが具合がわるかったら、お父さんが病棟にきて状況をきくというのが通常)、どうして私に説明がないまま勝手にことをすすめるのか、などなど。

こういった対応を日本語でするのも大変なのに、英語で対応。。。まぁ、主に傾聴に心がけたのですが。はい。

ヒステリックに泣く赤ちゃんと攻撃的なママ、それに加えて胸水+敗血症の赤ちゃんの受け持ち、そして度重なるオーダー変更。

この受け持ちが2日続いて、久々にこたえました。。。カナダで仕事をはじめてから「仕事行きたくないー」とあまり思ったことはなかったのですが、久々にそう感じたHadijaでした。

あ、今は休み中でしっかり気分転換中です。本日の夕飯はエネルギー補給も考えて(?)アルバータ・ビーフのステーキディナーです。300gくらいあるかも?!?!

プレッシャー

すっかり日記のサボりぐせがついているHadijaです。。。4月は丸々休暇をとり、気分をあらたに5月は仕事だ!とおもいきや日々一杯一杯でした。

まず休暇明け、仕事をして数日後病棟の教育係から自宅に留守でが。

「えー、話があるので、折り返し電話ください」とだけ。

休み明けでなにかしでかしたか???

まずは自分がこの数日なにか家にまで電話がかかってくるほど、なにかミスをしたか考え直してみる。どうも無いと思うけど、気持ちが落ち着かず、早速電話をしてみると。。。

何か失敗をしたことではなかった。ホッ。しかし、恐れていたことをいわれた。

実は数ヶ月前から別の教育係に「そろそろプリセプターやってみない???」と何度かいわれ続けていた。プリセプターというのは、学生さんや新人さんたちにつくこと。こちらの学生は学生時代にみっちり臨床で経験します。私が学生の時は、6人の実習グループに1人大学から先生もしくは助手の人がついて、あとは臨床指導者として現場から一人ナースが実習につきます。でも看護学生の受け持ちは患者一人。

でも、こちらでは、学生でも一人のナースと同じ業務量をこなします。最初の数日は業務になれることがまず第一なので、プリセプターなるナースが実際の業務は行いますが、すぐに学生さんも普通に私たちと同じような観察・ケア・投薬・点滴のライン取りなど(もちろんプリセプターがついてのもとで)など行います。

私の働く病棟はかなり新採用や学生さんがくるので、このプリセプターをやることも仕事の一つで、だいたい勤務をはじめて1年後にはこの役割が回ってきます。

教えながら自分が学ぶことも山ほどあることはわかるのですが、私自身がまだまだ学んでいる気分がおおく(お給料をもらっているのでそれではいけないのでしょうが・・・)かつ英語でのやり取りもまだまだ課題多しん状況。医学用語はいまだに電子辞書片手にやっております。。。

私はフルタイム(12週間で12時間シフトを40回こなす。日本でいう4週8休という感じでしょうか。つまり常勤)で働いており、このフルタイム人口は実は少数派。でもプリセプターはこのフルタイムの人にまず回ってきます。そのほうが新人さんも学生さんも早く時間数をこなしていけるため。

働き出して1年を過ぎたころから「そろそろプリセプターやらない?」といわれ続け、さりげなく断り続けたいのが、、、この自宅への留守電。どうやらこの教育係のさらに上の上司(マネージャー)からプッシュがかかっているそうで。

それにしても、自宅に電話って。。。休みの日ですよ。

どうやらもう逃げられない状況らしい。。。

でも、どう考えてもまだ私はプリセプターをできる自信は無いことを伝えた。実際、超急性期の担当は最近ご無沙汰気味。点滴ラインとりもこの数ヶ月ほとんどあたらない。技術的なことも、システムに関しても、まだまだ人に教えられるほど自分ができないことを伝えたのだけども、、、

「じゃぁ、今から予告しておくから9月ごろには心の準備しておいてね」といわれた。

もう逃げられない、と覚悟を決めてこの数週間は急性期チームの担当をリクエストしたら、しっかり担当になりました。。。かなりもまれております。まなんでいますが、つらいですな。。。

2009年1月28日水曜日

三つ子ちゃん・その後 (11月の日記の続き)

昨日までの3夜勤、以前受け持った三つ子ちゃんのうちの2人(RickとKen。ともに仮名)

去年の11月に書いた日記 http://habarizahadija.blogspot.com/2008/11/blog-post_14.html に書いた三つ子ちゃん。残念ながら3人目のNate(仮名)は生後約1週間で亡くなったのですが、RickとKenは険しい道のりを経て、今ではずいぶん大きく育ってきました。

二人とも生後しばらくは挿管ー抜管を繰り返し、とにかく呼吸状態が非常に不安定でした。最後の抜管後も二人ともなかなか酸素を手放せなかったのだけど、数週間前にRickは酸素が必要なくなり、自分の口でミルクもずいぶん飲めるようになり、退院となりました。といっても、もう一人のKenはまだ退院には至らず(1週間ほど前のやっと酸素を必要としなくなった)、若干呼吸状態の不安定が残るので、入院のまま。ママはFamily roomというところにRickと滞在しています。

(*このFamily roomは赤ちゃんの状態が安定しない時に家族が宿泊するためや、退院前の練習として家族と赤ちゃんが一緒に過ごすためにあります。)

Rickは退院といっても、ママはRickとKenそれぞれの授乳とお風呂、そして3時間おきの搾乳と大忙し。RickとKenが同時に授乳だとまだいいけども、別々のタイミングで泣き出すともう大変。ママはできるだけ自分で全部やろうとするけど、授乳の最中にこっくりこっくりと居眠り。。。毎日ほとんど寝ていないそうです。

そして面白いのが、どちらかが「うぅぅぅーーーん」といきみだすと、片方もつられるかのように「うぅぅぅぅうぅぅーーーーん」といきみだす。時々合唱状態です。泣き声が混ざると時々居眠りしているママはパッと起きます。

「ほかの子供が泣いてもあまりなんとも思わないけど、自分の子供たちが泣くと、すぐわかるの」と。

KenとRickのママを入院直後から知っているのですが、子供の成長以上にママもずいぶん変わりました。このママまだ22歳。今回が4回目の妊娠で初めての出産でした。それもまったく予期していなかった自然品胎。しかもSingle motherです。最初は赤ちゃんをどう扱っていいのかわからなかったママだけど、今では手馴れたもの。お風呂もものすごい手際よくいれています。そしてKenとRickが突然吐いたりしても動じず、落ち着いて対応しています。ナースがやるべき体重測定やミルクの調合(二人とも母乳に少し特別な人工乳を混ぜている)も自主的にやっています。

二人とも退院したら、どうやって二人の面倒を見ていくか聞くと、おばあちゃんを含め、いとこたちからも助けてもらえる予定だそうです。

昨日の時点で出生77日目。27週で生まれたので、いまやっと修正週数38週となりました。

「本当はこれから生まれてくるはずだったのにね」とママ(三つ子ちゃんで満期まで持つのは難しいですが。。。)それでもおなかの外にでてきて、Kenは約2.4キロ。Rickは2.8キロまで大きくなりました。ここまでこのペースで成長した赤ちゃんたちとママ。大進歩です。