2008年12月30日火曜日

クリスマスの出来事

日本はますます年末モードが高まっているでしょうか?こちらカナダではクリスマスが1年の最大イベントという感じで、クリスマスまではどこもかしこもクリスマスモード一色。職場でも沢山の飾りつけがされました。

クリスマス当日は、働くスタッフもクリスマスの雰囲気たっぷり。サンタの格好をするスタッフ(真っ赤なユニフォームを着て、サンタ帽をかぶったり)や、トナカイの角のカチューシャをしたり、クリスマスらしい柄のスクラブを着る人たち、派手派手なイヤリングをする人たち、などなど。ちなみに私は今年も準備を怠り、いつもどおりの普通のスクラブ着て仕事しました。来年はちょっと工夫しようかなぁ~

クリスマス当日の受け持ちは26週の双子ちゃん。生後6日目の女の子(Jody:仮名)と男の子(Chris:仮名)。二人とも体重は約800gほど。生まれた時、二人とも仮死が強かったため、すぐに挿管。でもJodyのほうはすぐに抜管できてCPAP管理。栄養が始まったけど、胆汁様の嘔吐を繰り返すため、禁乳となる。

そしてChris。生後直後に食道閉鎖に疑われ(胃にチューブを入れようとしたらチューブが入らなかった)、そして生後2日~3日目にかけて腸管破裂を起こして緊急手術へ。頭に大きな出血もあり、貧血がどんどん進行していた。私が受け持った時は、モルフィネを使いながらの呼吸管理。

800gという小ささ、そして小さな体には過酷過ぎる頭の出血と消化器症状。食道と気管にFistula(気管と食道は本来つながっていないはずなのに、つなぐ導管がある状態)があり、腸管破裂を起こしたためと、消化器系が機能していないため、気管に胆汁が流れ込み呼吸状態も今後危険な状態。大きなPDA(動脈管:生後まもなく閉じるべき心臓の導管。未熟児ではなかなか閉じず、心臓と肺の機能に大きく影響してくる)もあり、状態は非常に厳しい。

私が受け持った日は状態は危ないながらも安定。ただ、尿量も血圧も微妙に低下しており、今後状態がどんどん悪化していくことは予測できる。予後を考えると、このまま治療を続けるか、治療をとめるか、というディスカッションがされ、この日担当の医師は「治療を止めたほうがいいだろう」との意見(通常のやりかたでは、抜管して治療を一切とめる)。

この日の午前中、「午後面会に来ると」電話をもらったばかりだったけど、午前中のうちに両親ともに病院に来てもらい話し合いをすることに。家に電話をかける私。。。いやな役だ。。。電話では詳しくは伝えず、医師が早いうちに話をしたいということで、出来ればすぐに病院に来てほしいと伝えその1時間後に両親到着。

1時間ほどの話し合いを終えて、ChrisとJodyのベットサイドに来た両親。とてもつらそう。この日は結論がでなかった。

多くの人たちが家族で集まり、クリスマスプレゼントを開けて、クリスマスディナーを楽しんで、という12月25日。カナディアンにとって一年の最大の祝日であるこのクリスマスの日にとても悲しい現実に直面したChrisとJodyの両親と家族。受け持った私もとてもつらく、涙する両親とおばあちゃんのそばにいて、涙腺を止めるのに精一杯でした。

一つよかったこと。前日嘔吐を繰り返していたJodyがこの日は嘔吐が落ち着いたため、はじめてお母さんがカンガルーケア(お母さんの胸でオムツをつけた赤ちゃん抱っこする)ををしました。Jodyはカンガルーケアの間、とても穏やかで、とっても素敵なクリスマスプレゼントとなったようです。

2008年12月14日日曜日

真冬突入

ここ数日はではせいぜい気温が下がっても-10度も行かない程度。みんな「今年は暖冬だねぇ~」なんて余裕だったけども、今日からどうやら真冬になったようです。

気温表示:-25度。

といっても、部屋の中にいるととても暖かく、その寒さがいまひとつぴんとこない。でも窓を開けると日やーとした空気が入ってくる。。。うーん寒そう。

日本の建物と違って、こちらのアパートは古くても新しくても、セントラルヒーティングが一般的で、部屋のどこにいても暖か。私の部屋は特に東南角部屋と恵まれた条件で、かつ最上階(といっても6階)なので、特に暖かいようです。おかげで部屋の中では真夏の格好しています。

そんな快適な部屋からこんな寒い日は出たくない・・・と思っても、寒い日々が日常のこの土地では出ないわけに行きません。というわけで、完全防備にて外出。タイツに靴下は私の場合9月から当たり前。ブーツに長いタケのフード付きのダウンジャケットに耳あてとマフラー、そして手袋。

ここに来たばかりの最初の冬はウールのコートしかもっていなかったけど、ウールのコートがここの真冬時期には無意味(車があれば別)ということを学んだのが最初の数日目だった。今ではダウンコート2枚持っているため、だいぶたくましく寒い日でも外に出かけられるようになりました。

といっても、-25度くらいともなるとさすがに寒い。完全防備している部分は何とかなっても、顔周りがつらいものです。特に呼吸するたびに鼻の中が凍ってしまうのには困ったものです。

車があれば・・・と思うことは多いですが、今の住宅環境はあまり治安がいいといえず、Break-in(いわゆる車上荒らし)がよく起こる場所なので、車の購入は引越しを考えられるときになりそうです。

引越しはいいところがあれば、、、と前々から思っているのですが、ここエドモントンの住宅事情は非常に悪く(物件が少なく、かつ値段がこの数年で2倍くらいにあがっている)、いつになることやら。。。まぁ、今のところは車が無くても、通勤のバス停はアパートの目の 前で、かつ職場まで一本のバスで10~15分程度という近さ(歩いても2キロだけども、治安が少々悪いのでバスに乗っている)なので、寒い時期の通勤も何とかなっているところです。

寒いけれど、晴れると雲ひとつ無いきれいな景色。 私の部屋から見える景色はこれまたちょっとした贅沢です。(写真は私の部屋から見える景色。大体この景色を見ながらご飯を食べたりパソコンをいじったりしています)


2008年11月26日水曜日

知らないこと・人に聞くこと

ふと振り返ると、去年の今頃仕事が始まりました。1年なんてほんとあっという間。小学校のころは1年がとてもながーく感じたけども、いつからか時間が過ぎるのが恐ろしいくらい早く感じます。

昨日は久々にOvertimeでの仕事。普段あまり積極的にOvertimeをやらないHadijaですが、最近は出費も重なり、かつ恐ろしいスタッフ不足の日でもあり、やってみることに。

いつも12時間のシフトのところ、昨日のOvertimeは8時間のみでPick up。8時間なら軽いもんだろう~、と思っていたら、、、この1年で1番くらいに忙しい勤務となってしまった。。。

べつに重症患者にあたったわけでもなく、入院をとったわけでもなく、転院の手続きをしたわけでもないのに、何で忙しかったか???


私に申し送りをしたNsは学校を出たての新人さん。最近独り立ちをしたばかり。以前一度仕事をしたことがあったえけども、そのときはとっても静かな印象だった。申し送りを受けるのは今回が初めて。

たんたんと申し送りをする新人さん。でも私が「でもなんでこの子はこのミルク量なの?」と聞いたり、やるべき血糖チェックをしてないことを聞くと、すべてに「I don't know」と答える。。。

申し送りをなんとか終わらせ、いざオーダーチェックと今までの記録を見ると、オーダーとまったく違うことがいくつかあり、かつすべき血糖チェックをしてなかったり、いろいろなことが出てきてた。。。それも受け持ち3人とも全員。。。おまけに低血糖の子の点滴もれてるぅぅぅぅーーーーー


最初の数時間はこのオーダー確認と、新たなオーダー受け、かついろいろ予定が変わってしまった調整などに追われつつ、生後2日目の双子のママの授乳指導などなど、もうてんこ盛り状態。

休憩もほとんど取れず終わった8時間。。。


こういう日があるのは仕方が無い。暇なときもあるのだから。でも納得いかないのは、知らないことを知らないままにしていた新人さん。

この新人さんはおそらく自分が何を知らない、ということも知らない様子。かつ、ちょっと曖昧なこともそのままにしてしまい、周りに相談するわけでもなく、自分で仕事を進めてしまう。これってとっても怖いこと。


知らないことを認識すること。そしてわからないことは周りに聞く。とても単純なことだけど、大事なことです。

2008年11月23日日曜日

三つ子ちゃん・双子ちゃん

前回書いた三つ子ちゃんの一人、Nate(仮名)。

私が受け持った数日後、腸管穿孔を起こして緊急手術となってしまいました。。。そしてその数日後に亡くなったそうです。かなりのハイリスクで生まれてきたので、避けられない結果だったかもしれないですが、その過程でもう少し違う対処方法があったのでは・・・?とすっきりしないです。

あとの2人も呼吸が安定せず、再び挿管されて人工呼吸器で管理されています。まだまだながーい道のりが続きます。

最近本当に多胎が多いです。

この数日の夜勤で受け持ったのも双子ちゃん。27週で生まれて、その後険しい道のりを経て、今では元気に経口でミルクを飲んでいます。お母さんはまだ20台前半という若さのAborigine。すでに4歳の女の子がいて、今回の双子ちゃんは望んだ妊娠ではなく、偶然双子ちゃんを授かってしまった、というながれ。

この双子ちゃんのパパ(結婚はしていない)はアルコール・ドラック中毒者。妊娠に関しても受け入れてなかったそうで、今後どうこのママが双子ちゃんを家に連れて帰るか、経済的にも育児サポートなど、問題は山積み。

母乳育児を希望しながらも、赤ちゃんの授乳の直前に搾乳してしまう、そして飲ませるのはミルク、という不思議な行動をとるママ。「搾乳するよりも、直接おっぱいを飲ませてみたら?」と促すと出来るのだけど、繰り返しかかわりが必要。

私が担当した夜間2日間とも毎回の授乳にはきて積極的に赤ちゃんに関わっている。でも日中はほとんど来ないという。きっと疲れて寝ているのか??赤ちゃんが退院したらすべての負担はママにかかってくる。ソーシャルワーカーが退院後のアレンジメントを計画しているけども、とても難しそうなケース。どうなることか。。。

別の24週の双子ちゃん。お母さんはスーダン出身のまだ18歳か20歳という若さ。望んだ妊娠でなく、これまた双子ちゃんというケース。ママは面会にはほとんど来なく、治療の方針はママの出身部族のリーダーが発言力があるいう珍しいケース。この24週の双子ちゃんは二人とも頭の出血が大きく、今後重度の障害を残すことがほぼわかっている状態。

通常こういう状態になると、今の職場では積極的に治療は進めず、、むしろ治療を一切「止める」ことがよくある。この「止める」ということに関しては私の今までやってきた臨床とはまったく違い(おそらく今の日本でも行われてないのでは?)今だ理解できないことも多い。この件に関してはとても複雑なので、また日を改めて書いてみたい。

24週の双子ちゃんはとりあえず「DNR」(Do Not Resuscitate:心肺停止したとき蘇生しない)という合意を部族リーダーなる人と取っているとのこと。でも現状の治療は続行することに。その治療の相談もうまくコミュニケーションがとれず(たとえばケアチームとミーティングを予定しても来ないとか、面会にもほとんど来ない)これまた難しいケース。


望むところにはなかなか赤ちゃんが出来ない一方、望まないところに双子ちゃんや三つ子ちゃんが生まれてくる、本当に不思議なものです。。。

2008年11月15日土曜日

またまた三つ子ちゃん

昨日は夜勤明けのすぐあとの日勤でした。本当はこういうシフトはないのだけど、休暇のために勤務交代をしたため、きついシフトになってしまった。。。あまりヘビーな担当になりませんようにに・・・と願いながら出勤したら、願いかなわず。

受け持ちは三つ子ちゃんのうちの二人。27週で生まれて受け持ち時は生後3日目のNate(仮名)とRick(仮名)。お母さんは22歳にして今回の妊娠が4回目(でも今まで子供は生んだことがない)。カルテに父親の記載はなし。自然の三つ子ちゃんの様子。うーん、まえにもこういう展開あったなぁ。。。

3人とも生後すぐに挿管されて、すぐに抜管にいたったものの、私が受け持ったNateは生後2日目に肺出血をおこし、生死をさまよった。昨日私が受け持った時点では昇圧剤はとまっており、比較的安定はしていた。安定といっても、気は抜けない状態。PDA(動脈管開存:本来生後閉じるはずの血管が開いたままの状態)はおそらく大きく開いたままだろう・・・ということが考えられる全身状態。

私が受け持っている間に栄養も開始された。最初は6時間おきに1mlずつ。胃内からチューブを通じて黒やら茶色やら緑のものが少量だけどだらだら引けてくる(というか出てくる)状態。血圧が微妙に下がっている。うーん。。。

最初の1mlは12時に注入。重力を使ってゆっくりと。その後も微妙に血圧が下がってきている。前日に輸血も昇圧剤も使われて落ち着いたけど、肺出血がまだ続いているかも知れない状況。全身状態はけしてよいわけでないが、こういうときでも栄養は積極的に薦めていく今私が働いているの現場のやりかた。うーん、どうなんだろう???とすっきりしないまま夕方へ。

おなかの色はなんだかグレーがかっている。とてもいやな感じ。それをCharge Nurse(リーダーさんみたいな存在)に報告。その連絡を受けたNurse Practitionerが診察にやってくる(*基本的にBedside Nurseである私がDrやNurse Practitionerに直接連絡することはできないことになっている)。

「腹部はとてもソフト。栄養はすすめていくべき。Tryしなければ何も進まない。」ということで、栄養続行の指示。私としてはおなかがソフトでなくなったらそれこそ怖いんだけど。。。

Nateの状態が一日中あるいみ不安定でばたばたしていたところ、お隣のRickも今日はよくアラームをならす。前日よりもApnea(無呼吸)頻発。。。夜勤の人からは「このRickはとても機嫌がわるくなりやすい。ちょっとした音にも神経質。よく泣き暴れる」と聞いていたものの、私の勤務帯では一度も泣かない。関わるときはそれなりに反応はあるものの、「なんかちょっとおとなしすぎるのでは・・・?」という印象。尿量も前日より微妙に下がってきている。。。

ママのおなかから27週という早すぎる時期にでてきたこの子達が超えて行くハードルは沢山ありすぎるようです。



受け持ち二人ともすっきりしない状態で過ごした日勤。ずっとばたばたで、疲れたけども、強制的に体内時計がこちらのタイムゾーンに戻ったHadijaでした。

2008年11月13日木曜日

休暇明け

ここ最近もすっかり日記をサボっていたHadijaです。。。ばたばたはいつものこと。でも、仕事のことを中心に書くこの日記がこんなに久しぶりなのは、仕事をしていなかったからです。といっても病気だったわけではないです。休暇だったのです。それも3週間半!

日本で、こんな長い休暇まずありえないでしょう。。。日本の皆さんすみませぬ。

普段12時間で勤務しているので、8時間勤務の人より普段の休みは多く、そこに有給を8日+勤務交代3日をいれたら3週間半の休みとなったのです。日本で仕事していたときは簡単に勤務交代なんてできなかったけども、今の職場環境では代わりをみつければ自由にできるのです。うーん、すばらしい。

たっぷり日本で充電して帰ってきての仕事。英語から完全に離れていた休暇だったので、久々の英語尽くしは疲れました。言葉のなれって恐ろしい。。。英語モードにこれから切り替えていかねばです。

この数日の受け持ちは、休み明けにはぴったりの軽症レベル。休暇前はまだ保育器で酸素やCPAP(Continuous Positive Airway Pressure:持続的に陽圧を気道に送る呼吸補助機)を使っていた赤ちゃんが保育器を出ていました。栄養もチューブからではなく、哺乳瓶でミルクを飲んでいます。私が休暇に行く前にたままた受け持っていたのですが、呼吸は不安定でこの子はいったいいつ酸素がきれるのだろう・・・と思っていたけど、確実に前進しています。

なじみがあった赤ちゃんの多くはこの休暇中に退院・転院となっていました。ちょっと寂しいけど、うれしいニュースでもありました。



日本に帰るたびに髪をばっさり切ることがこの数年のお約束事になりつつあります。今回もまた切りました。のび放題になる前にまた充電に帰りたいものです。

2008年10月2日木曜日

あっという間・・・!

すでに紅葉まっさかりのここエドモントン。紅葉もだいぶ散りつつあるかなぁ。。。きれいな景色を写真に収めたい、と思いつつ、カメラを前ほど持ち歩かず、ベストショットを逃してばかり。これが散ったら本格的に冬がやってくるかと思うと怖いです。

最近はいろいろなことに一杯一杯のHadijaです。

仕事環境でもちょっと動きがあり、とにかく精一杯に突っ走っております。

今日は久々に仕事で慢性期チームで働きました。

久々に思いっきり赤ちゃんに授乳して、気持ちよくげっぷさせて、たんまり中身のオムツを替えて、とNannyのような仕事でした。ここ最近、極端に小さかったり、病気気味の赤ちゃんや、家族背景の難しいケースなどをを受け持っていたので、久々に一般的に近いて赤ちゃんと触れ合って、幸せを感じました。

2008年9月20日土曜日

Apprehended

先日、Dandy Walker Syndromeという病気の男の子(Thomas:仮名)を受け持ちました。この病気は脳質とくも膜の交通障害が先天的にあり、結果てきに水頭症を合併しやすいものです。

39週、3.4キロで出生。私が受け持ったのは生後約2週目でした。特に神経学的症状は今のところなく、全身状態は落ち着いており、通常のケースであれば自宅に帰る時期であったのですが、ちょっと訳ありの家族背景がありました。

Thomasのママは今まで14回妊娠。2回の流産をしています。なのでThomasは12人目の出産(2人は事故?により死亡)でした。そして、Thomasのお兄ちゃん・お姉ちゃんにあたる子供たちはFoster parentsに育てたれている、というバックグランドがあるのです。そしてこの生まれたばかりのThomasもすでに養子に出されることが決まっています。

今回私が知ったのは養子に出されるケースの言葉の違い。カルテに「Apprehended」と書いてありました。同僚に「Adoptionとどう違うの?」と聞いたところ、Apprehendedは親に養育能力がない場合(仕事を持たない、子供を育てる経済的基盤がない、ドラック・ユーザーである、子供を虐待してしまうなどなど)、両親の意思には関係なく、強制的にFoster parentsに子供を預けられてしまうということです。

こういったSocial Serviceを巻き込むケースは非常に多くみられます。移民やNative Indianといった人種的背景が大きく関わっているのも、カナダというかこの土地ならではの特徴でしょう。ちなみにこのThomasもNative Indianの赤ちゃんです。日本であまり経験ないことだったので、ここならではの地域保健や看護もこれから学んでいく必要があるHadijaであります。

2008年9月18日木曜日

すでに秋

日本はまだ残暑が厳しいころでしょうか。

ここエドモントンは最近はすっかり紅葉づいてきました。。。おかげで朝の冷え込みは・・・4,5度というときがあります!朝の出勤時や夜勤の帰宅時の寒さはすっかり東京の冬モード。日中晴れると20度前後まで気温が上がることもあるけども、日照時間もだいぶ短くなってきて確実に冬に向かっています。

気がついたらもう9月半ば。日記はやはり不定期のHadijaです。。。


8月終わりから9月上旬にかけて、5泊でオクラホマというところにいってきました。「オクラホマって・・・?」と日本にはあまりなじみがないアメリカ中南部の州。ここにHadijaは16歳のとき交換留学生として1年滞在したのです。

大学時代、2回ほどホストファミリーを訪ねたのですが、仕事をしはじめてからは長期の休みがなかなか取りにくかったので、きづいたら10年以上訪ねてなかったです。でも、つながる人とはつながるものなのでしょうか。ホストファミリーとは連絡が途絶えたこともあったけど、私がカナダにきてからちょこちょこと連絡をとり、今回久々に訪ねてきました。まとまった休みをチョコチョコ取れるものここで仕事をするメリットです♪

ホストファミリーとは10年ぶりにあうけども、あまり時間の経過を感じず。でも、久々にあったのでその間のお互いの生活の変化など沢山語り合いました。

ホストファミリーには私はとても気にかけてもらっていて、「カナダなんて寒いところじゃなくって、ここにまたおいで!」とかなり真剣に誘われました。私としてはあまり乗り気でなかったけど、ホストファミリーの知り合いのつてで病院2件+クリニック1件まで職場見学に行ってしまった。でも、いまアメリカでは外国人ナースに対するビザの発給がとまっており(あったとしてもとても難しいらしい)、そう簡単にアメリカで看護職にありつけない、ということをホストファミリーがすこしわかったみたいで(私は前から「そう簡単にアメリカで仕事なんてできないのよ、といっても信じてもらえなかった)」、そうしたら今度は「こうなったらHadijaにいいオトコをみつけて結婚してビザを取るしかないわね」という展開に。勢いあるホストファミリーです(主にママ。。。)

久々のオクラホマでののんびり生活を楽しんで、思いっきりアメリカンな食生活(ジャンクフードいくらでもある生活)に少々つかれて戻ってきたエドモントン。オクラホマは夏だったけど、エドモントンはすでに秋の気候です。今度写真をUpします。

2008年8月21日木曜日

夏日

ここ最近のエドモントンは本当に暑かった。。。去年の夏は半地下となっている部屋に住んでいたため、非常に涼しかったのだけど、今は東南角部屋という日当たり抜群のアパートなので、部屋の中は外より暑い。扇風機を回しても熱風状態。ここは湿気がほとんどないため、東京の蒸し暑さと比べたらまだいいほうなのだけど、久々に寝苦しい1週間を経験。でも今日は17度とひんやり。暑すぎるのもこまるけど、これで夏も終わりかも?と思うと寂しいものです。最近日照時間も短くなってきて、確実に長い寒い冬が近づいてきています。。。


昨晩の受け持ちはCPAP(Continuous Positive Airway Pressure:持続気道陽圧)をつけている赤ちゃん2二人。27週、25週出生の赤ちゃんたち二人とも1キロちょいほどの大きさ。

27週にて生まれた女の子は、お母さんが出産前日まで妊娠に気づかなかったというバックグランドあり。生まれるまで3ヶ月間出血が続いていたというけども。。。

生後まもなくはそれなりに順調に経過していたのですが、敗血症を起こしてしまいました。でも抗生物質で少しずつ元気になり、現在は持続的な点滴はとまり、栄養は経管栄養で少しずつ大きくなっています。でも、呼吸状態はいまひとつでこのCPAPに頼らずにはいられません。ちょっとでも圧が逃げてしまうと(CPAPのマスクがずれたりすると)サチュレーション(酸素飽和度)が下がり、徐脈も起こし、といことで頻繁にアラームを鳴らしています。もう一人の受け持ちの子も必要酸素は21%(私たちが吸っている空気の濃度)に近いものの、CPAPにまだまだ依存しているため、二人ともに圧が多少ずれるたびにアラームの嵐。。。昔仕事を始めたばかりのころはこのアラーム音が家で寝ているときにも頭をめぐっていたけども、いまはさすがになれました、といってもまだまだつらいものがあります。。。

27週出生の子は現在生後約1ヶ月なので、修正週数でもまだ31週。本当はまだお母さんのおなかにいる時期。体重もやっと1キロを超えたところなので、まだまだ道のりは長いです。


ところでこのCPAPという呼吸補助装置。今の職場ではとても頻繁に使われています。日本で臨床をやっていたときは、抜管時は保育器の中に酸素を流して、自発呼吸でがんばってもらっていたような。でも、今の現場では抜管後はかならずCPAPを使い、呼吸状態ほか全身状態が安定していればCPAPをはずして、微量の酸素を経鼻カニュラをつかい、そしてその後安定していれば酸素Offという順序となっています(かなり安定している場合は、経鼻カニュラでの酸素投与を省くこともある)。

30週前後までの出生の場合は、抜管前にかならずカフェインを投与。これはほぼルチーン化です(カフェインは無呼吸を予防するために使う)。

挿管による呼吸管理も含め、こういった呼吸補助気を使う上で重要なのがRT(Respiratory Therapist:呼吸療法士)です。日本では耳慣れない職種かもしれないですが、ここでの仕事は彼ら無しには成り立ちません。呼吸器を使うときは、設定を含めて装置の管理はすべて彼ら任せ。医師が「呼吸器の設定を落としていくように」という指示を出すと、私たちベットサイド・ナースとともに赤ちゃんの観察を行い、血液ガスを適宜とりながらRTが設定を変えていきます。抜管の指示が出たときは、RTが抜管します。挿管が必要なときもRTが一通り準備をしてくれて、私たちナースは挿管時に必要な投薬の準備をします(Atropine, Fentanyl, Succinylcoline)。こういった挿管前の投薬のルチーン化もここでの臨床ならではでしょうか・・・?(日本での最近のやり方をご存知の方はぜひ情報を送っていただけたらうれしいです!)

2008年8月10日日曜日

夏の来客

先週は東京から友人2名がここエドモントンに遊びに来ました。協力隊時代の友人で、出会ってから5年とすこし。この二人は私がタンザニアのタンガというところにいるときも一人はザンビアから、もう一人はマラウイから会いに来てくれた人たち。

昔から一緒にお馬鹿なことをしていましたが、その心意気はまだまだ健在。そして今回たんまりお土産を持ってきてくれてました。日本食・日本酒、そして「日本酒飲むならやっぱり浴衣でしょう~」ということで、浴衣と扇子まで!!

写真は私がいただいた浴衣とエドモントンの景色です。男性1名+女性2名、それぞれ素敵な浴衣を着て少し街を歩き、そのままちょっと高級なレストランへ。思い出深い夏の1ページとなりました。

2008年7月22日火曜日

残念なニュースとうれしいニュース

去年のエドモントンは6月7月と快晴続きで「これぞエドモントンの夏!」という湿気の無い気持ちのいい夏だった。でも今年は雨が多くってなんだかグレーな景色が多くって。。。でもこの数日はやっと気持ちよくはれて夏らしい日々です。

うちから見えるお隣の20階立てくらいのコンドミニアムのバルコニーでは夕方、BBQをしてたりなにやら美味しそうな物を飲んでいたり、という景色が見えます。多少陽が短くなったといえども、夜の10時くらいまで明るいエドモントン。夏のパティオ・バルコニーでBBQ&ビアは最高だろうなぁ~と眺める私。そんな光景をみながら翌日の仕事に向けて早々に寝ているHadijaでした。。。



数日の休みを終えて出勤した金曜日の日勤。残念なニュースが。前回書いた(おそらく)Surfactant Deficiencyの男の子、私の休日の間亡くなっていました。酸素をいくら上げても、サーファクタントもステロイドも効かず、最後は両親が抱っこするなか、呼吸器を止めて、亡くなったそうです。


悲しいことも沢山ある職場ですが、うれしいこともあります。


急性期で独り立ちをして間もなかったころ受け持った24週生まれの男の子。前の日記でも少し触れたこの子は、生後数週間で腸穿孔を起こし、頭は出血後水頭症となりました。生死をさまよったとき、両親と医療チームが「場合によっては呼吸器も含めて治療をとめていく」ということも話し合ったのですが、奇跡に近い回復をして、今では呼吸器は取れてCPAPの補助を受けながら、少しずつ大きくなっています。

この男の子のお母さん、私を見かけるといつも元気よく話しかけてくれて、赤ちゃんの様子を教えてくれます。体重が1キロを超えたとき、腸穿孔のあと、母乳が飲めるようになったとき。初めてのウンチが出たとき。呼吸器が取れたとき。そして昨日はもう一つ大きなニュース。「点滴が今日はじめてとれるの!」と報告してくれました。点滴がなくても、経管栄養(お母さんの母乳)で栄養が取れるようになり、消化もできているということです。大大大進歩です。


体重は今、1.5キロくらい。まだ小さいけども、確実に大きくなっています。次なる目標はCPAPが取れて、母乳を直接飲めるようになることです。

2008年7月16日水曜日

双子ちゃんのその後

昨日の朝、連勤終了。夜勤後昼寝をして、夜は久々にサッカー参加(交代要員として)。なれない運動をしてただいま筋肉痛の始まり。ピークは明日なんだろうなぁ。。。

夜勤3日目は前回書いた29週?か26週か?という双子ちゃん二人とも担当。相変わらず二人ともおなかはパツパツ。でも、少しソフトに感じるかなぁ、というところ。二人ともミルクを3時間おきに0.5mlの経管栄養。

しかし、お姉ちゃんのほうはまたもや嘔吐。今度はミルク様の残渣ではなく、かなり濃い緑色。うーん、いやな感じ。妹のほうは何度か緑色のものが出てくることもあったけど、お姉ちゃんは始めての緑色の嘔吐物ということで、リーダーさんに報告。次回のミルクは30分後だったので、「I am not comfortable to feed her。。。。」と伝えたら研修医に報告してくれて、研修医登場。医師によってはそのままミルクをおし進めるのだけど、この研修医に「私はミルクこの子に今夜もうあげたくない。おなかの音も弱いし。。。」と伝える。研修医も同意してくれて朝まで禁乳にして様子を見ることに。ほっ。

この夜は双子ちゃんの両親と4人のお兄ちゃんたちが面会にやってきました。お父さんは週末だけここの街に戻ってきて、平日は車で北に数百キロ行ったところの街でオイル産業に関わっている人。数時間後に仕事に戻る前にみんなで面会にやってきました。

4人のお兄ちゃんたちは、小さな妹を見て大はしゃぎ。お母さんがカンガルーケア(赤ちゃんはオムツだけ。お母さんにも上半身下着・服を脱いでもらい、ガウンだけ着た状態で肌と肌で触れ合う抱っこをすること)をしている間、お兄ちゃんたちは妹に触る(というよりも、つっつく・・・)お母さんが静かに!といっても効果なし。小さな小さな妹をみて不思議でたまらないみたい。3歳から7歳までの4人のお兄ちゃんたち。ある程度の話は理解できそうで、「この小さな赤ちゃんは、音や触られる刺激にとっても敏感だから、お兄ちゃん一人ずつ優しく触ってあげてね」と何度か説明して順番にさわりっこ。そして、妹がぱちりと目をあけたら、みんなとっても不思議そうに眺めていた。

消化の状態はこの双子ちゃん、二人とも似た感じで注意が必要だけど、呼吸は二人ともだいぶ落ち着いてきて私の勤務帯はApnea(無呼吸)がかなり減った。このままゆっくりと順調に進んでもらいたいものだ。



この3夜勤の受け持ちではなかったけど、同じ部屋にいる男の子。36週で生まれて、原因不明の呼吸状態の悪化。生後数日後から挿管されて、そろそろ3週間目。抜管できず今まで経過。診断は確定ではないけども、おそらくSurfactant deficiencyではないか、ということ(サーファクタント:界面活性剤。肺を広げるために欠かせない物質)。

毎日のようにサーファクタントを投与されているものの、最近はその効果があまり見られなくなり、必要とする酸素量はどんどん上がってきている。私が1週間前に受け持ったときはサーファクタントを使うと必要酸素が30~40%だったのが、この夜勤の間はサーファクタントを使っても70%前後、もしくはそれ以上必要としている。覚醒すると酸素飽和度が一気に低下するため、モルフィネとクロラールをあわせて使い沈静をかけている。それでも体位変換やおむつ交換では負担が出てしまうため、酸素飽和度が一気に下がる。ケアには最低2人以上の人手が必要。

この病気はとても珍しく、かつ予後がよくない。現在サーファクタントとステロイド療法を行っているが、効果はこの数日かなり薄くなってきている。両親は毎日面会にきて、交代でカンガルーケアを行っている。そして毎日いろいろなことを赤ちゃんに話しかけて、いつもやさしいキスをしている。でも表情はいつも厳しい。

この赤ちゃんの両親は二人とも医師。厳しい現実を私たち以上に受け止めていて、つらいことだろう。

この家族に先日私はバスに乗るところを見られているそうな。それも予定より早くバスがやってきて、それを見つけた私が「これに乗り遅れたら遅刻だぁー」という勢いで思いっきり走っていたところを。。。

その日ちょうどこの赤ちゃんの受け持ちの日で「さっきバス停のちかくで必死に走っていたでしょ」と笑われた。いつも険しい表情だけども、こんなネタで笑ってくれてよかった。

2008年7月13日日曜日

29週?26週?双子ちゃん

ただいま3夜勤の合間。いままでこのブログの更新を怠っていたけど、覚書のつもりで思い立ったらすぐ更新を目指しているところです。

昨晩の受け持ちは双子のお姉ちゃんのほうともう一人は27週生まれの男の子。男の子のほうは点滴もなく、口からのチューブでミルク(お母さんの母乳に多少栄養を加えたもの)を1時間に7.5ml持続注入しながら体重が大きくなるのを待っているところ。

そして、双子ちゃん。超音波では29週ということだけど、お母さんの最終月経からすると26週になる。でも呼吸の状態からおそらく29週に近い出生と思われる。

呼吸はCPAPと呼ばれる補助装置を使いながらなんとか過ごしているものの、問題はおなか。鼻から空気が持続的に送られるせいもあるけども、いつもおなかがパンパン。1時間おきくらいにOGチューブ(口から胃に入れているチューブ)から空気を抜くものの、おなかのパツンパツンはかわららない。栄養がまだ十分取れないため、お臍の静脈から点滴を投与しています。

この双子ちゃんのお母さん。HIVポジティブというこどで、母子感染予防のため母乳での栄養はできません。なので、栄養は人工乳で数日前から開始。でも、人工乳では消化の負担が大きいためか、お通じはいまひとつちゃんと出ず、おなかに腸の蛇行も見えている。。。

昼間の医師らの回診で経管栄養を続けていくかディスカッションにあがったらしいけど、そのまま続行となる。ここでの栄養の進め方は私としては非常に疑問を多々感じる日々。。。。私にできることといったら、おなかの空気をこまめに抜くことと、お通じを促すために小さな座薬をまたさらに切って極小座薬(グリセリン)を使うくらい。。。(日本でやっていたようなガス抜きや液体のグリセリンはここでは使わない。使えない??)

そして朝方、突然徐脈とサチュレーション(空気飽和度)の低下を伴う嘔吐。嘔吐色は黄色だけど、おなかはさらにパツパツ。すぐにリーダーさんに報告。研修医がやってきて診察。そしてレントゲンオーダー。写真上、Free airなるものはないものの(これが見られると腸管穿孔したことになる・・・)腸管はかなり拡大。NPO(禁食)となり朝までOGチューブを開放して空気をドレナージすることに。

おそらく今夜の受け持ちも同じと思われる。おなか、よくなっているといいなぁ。。。

2008年7月12日土曜日

27週の双子ちゃん

最近双子ちゃん多いです。

昨日・一昨日と受け持ったのは自然双胎。27週で生まれて昨日で生後約3週目。

お兄ちゃんのほうはもう点滴もなく、お母さんの母乳に補助的な栄養剤を追加して体重がゆっくり増えているところ。まだ呼吸状態は安定しておらず、CPAPという呼吸補助を使いながらすごしています(注:CPAP:鼻マスクから持続的に空気を送り込み、圧力を通じて気道を広げる)。

弟君のほうは、10日ほど前から感染症にかかり状態が不安定。この子もCPAPを酸素を25%くらい使いながらだけど、呼吸状態が不安定。一昨日初めて受け持ったときに「なんだかちょっと皮膚の色がすくんでいるなぁ」と思っていたら極度の貧血が血液検査でわかり、輸血を20ccほどしました。最初お母さんは「輸血なんて怖い・・・私の血を使えないの?」「輸血が原因でHIVやほかの感染症の危険はないの??」と不安が大きかったけど、大ベテランのナースに助けてもらいながらお母さんに輸血の必要性を説明。最後は安心してもあり、輸血ができました。輸血後は皮膚の色がピンクになり、すこし呼吸状態も落ち着き、ほっとしたところ。

昨日の朝また受け持ったとき、「昨日輸血した割りに、やっぱり活気がいまひとつ?」と思いながらでも私が触ることに「触らないでー」というように手足を動かしてはいたものの、はやり気になる反応。

午前中に医師を含めた回診。いろいろディスカッションを重ね、抗生剤を一つ追加して土曜日まで血液検査はせず様子を見ることに(もう採血しすぎて血管がつぶれて採血がとても困難なため)。小さい体に採血のあざだらけで、本当にかわいそう。。。

そして午後。だいぶ活気がなくなる。オムとを換えても反応いまひとつ。そして午後。突然しつこい徐脈とサチュレーション(空気飽和度。通常88%以上目標のところ、60-70%まで低下)の低下を伴う無呼吸の連発。自発呼吸を促すために刺激したりCPAPの酸素を上げても、反応がいまひとつ。すぐにリーダーさんに報告して、Nurse practitioner:NPがやってきて診察。NPは10分くらいその場で赤ちゃんを観察して「うーん、挿管しよう」ということで、挿管へ。

挿管のとき、日本とまったく違うのが、ここでは沈静をかけて挿管します。ばたばたと薬を準備して、投薬はNPの指示のもと、受け持ちの私がIV(点滴ラインから)。こういった場面にはまだ慣れていない私だけど、昨日一緒に働いたメンバーがとてもいい仲間たちで、沢山サポートしてもらいながら無事挿管。気の合う仲間と仕事ができるって、ホント重要。

夕方やってきたご両親。ちょっと心配そうだったけど、挿管して呼吸が落ち着いている姿を見て少し安心したみたい。この日は状態が落ち着いているお兄ちゃんをお父さんが抱っこ。カンガルーケアといって、お母さん・お父さんの肌にオムツだけつけた赤ちゃんを抱っこしてもらいます。このカンガルーケア、挿管している赤ちゃんでも、状態がある程度落ち着いていると積極的に促していきます。そして今の職場では両親は「Visitor」ではなく「Parents」ということで、24時間いつでも面会自由で、滞在時間も自由。カンガルーケアも日中・夜問わず、いつでも行っています。この柔軟さはここでのケアのよい点です。

2008年7月7日月曜日

すっかりご無沙汰

日記をサボっていたHadijaですが、元気にやっております。

慢性期レベルのケアでは数ヶ月前に独り立ちをして、その後急性期レベルでも5月末に独り立ちをしました(前に質問があったのですが、急性期レベルとは重症度が高く、主に呼吸管理や循環状態を補助する薬などを使う赤ちゃんたちのケアです)。

本当は、この日記では日々の仕事の振り返りと少しでも自分の経験をほかの人とシェアできたら、と思い始めたのだけど、相当サボっているので、本日は少々要約しながら最近のことなど書いてみようかと。

<今の職場環境のすばらしいこと>

先日、Lactation専門(母乳育児のエキスパート)のNP(Nurse Pactitioner:大学院卒の専門看護師)による職場での勉強会がありました。これに参加するのにちゃんとお給料が支払われ、休みの日でない場合は、「勉強会参加のための有給」と振り返られます(ただし、勤務日の場合は人数の調整がつく範囲での振り替えとなる)。私は幸い休みだったので、簡単に手続きをして勉強会参加。

この「勉強会参加のための有給」は一年で3日間各自にあり、これを学会出席やなにかの資格のために使うなど、各自に任されています。ちなみに学会などにいく場合、自分が発表者でなくても、交通費や参加費など、看護組合や看護協会、もしくは病院で予算がすでに組まれていて、かなりの確立であとから払い戻されることが多いとか。次回大きな学会がワシントンDCであるとかで、今から同僚たちは申請計画をしています。ちなみに前回(前々回?)はラスベガスだったそうな。

私ももうちょっとなれてきたら、そんなことを計画してみようかなぁー

<ベット数縮小>

ただいまこちらカナダは夏真っ盛り。夏はみんなが楽しみにしています。だって、冬は寒すぎるから。。。夏は仕事をしない人が多いので、スタッフの数も減ります(日本で言うパート勤務の人たちがかなり経ることに加え、休暇をとる人が多いため)。

働くスタッフが確保できないのでなにが起こるかというと、ベット数縮小。満床62のところ、今は55となっています。満床以上のこともあるけど、そういう時は管理職レベルの人たちが調整。働く側が安全に仕事をできることをまずは優先。

病院内で生まれるケース、同じ地域からの搬送は満床でも受け入れるけども、北のほうのいわゆる「準州」といわれる地域からの搬送はほかの州に回してもらうそうな。


<最近の印象的なケース>

なんだか重症度が高いです。立て続けに24週、25週、26週レベルの赤ちゃんが沢山生まれました。この1ヶ月くらいの間。26週の自然三つ子ちゃんもいます。

・24週うまれの男の子

私が独り立ちしてすぐのころ、24週の男の子がうまれました。この子は生まれて数日は典型的な治療コース(挿管しての呼吸管理、昇圧剤、電解質・血糖管理、その他もろもろ)を経た後、順調に進み・・・と思いきや、腸管穿孔を生後2週目におこし、同じころ頭の脳質拡大も著名に見られて、という厳しい状況でした。

でも、なんとなく強いなぁ、と感じがあったこの男の子。両親は「もしだめなときは蘇生しなで、自然に任せてほしい」というところまで話があったけども、復活。まだ呼吸状態は落ち着かないものの、少しずつ大きくなっています。頭のほうは水頭症を起こしているので、毎日頭のお水を抜きながらだけど、それなりに落ちついてきました。

この強い男の子。お母さんも強くしっかりしています。「この子は小さいけど、とても強い力を持っているんだと思う。この子がこれだけ強いんだから、私も強くならないと」と、強い目線にいつも笑顔。

腸管穿孔といえば、こちらではかなりの頻度で遭遇します。。。現在55床のところ、小さなストマをもつ子は3人(4人かも?)。1キロにも満たない赤ちゃんのおなかにあいているこれまた小さな穴。。。ストマバックも当てたれないほど小さなおなか。。。これからの道のりが長いなぁ。

・大きな赤ちゃん・・・!

少し前だけど、5キロ近い体重の赤ちゃんが生まれました。それも経膣分娩。結果赤ちゃんは肩に骨折。痛み止めに最初の数日モルヒネを使うものの、両親は「ミルクは絶対に使わない。母乳のみ」ということで、モルフィネを徐々に減らして、母乳の練習へ。といっても、おそらく肩の痛みと、まだ分泌がすくないおっぱいに赤ちゃんの不満↑↑。。。

おっぱいがでないので、夜勤中にあるナースが何回かミルクをあげたところ(必要な水分は点滴で投与されていたものの、満期で生まれた赤ちゃんがそれだけで満足できるわけがない・・・)、それを翌朝しった両親大激怒。ミルク(母乳以外のもの)に対してかなりの不信感があるようで、「ミルクを飲ませろといった医者の名前はだれだ!」「どのナースが実際に飲ませたんだ!!」とものすごい剣幕で私たちを攻め立てる。

こういう責任問題は上の人に任せて、とりあえず私の受け持ちの間、授乳を練習するものの・・・私のかかわりにはさっぱりなようで、同じ部屋にいる同僚にヘルプを求める。が、その同僚のかかわりにもほとんど耳を貸さない両親。そして「Lactation professionalを呼んでほしい!」の一点張り。どうやら普通のRNという立場のNsは信用できない様子。

話を聞いていると、どうやら出産前から医療者に対して不信感は募っていた様子。帝王切開だったら、肩の骨折も起こらなかっただろうしなぁ。

2008年4月14日月曜日

暇なときもあれば・・・

只今4連休中の中日。本日は日中20度も越えたお天気。散歩がてらにスーパーにお買い物。本日もおいしそうなアルバータ・ビーフ購入しちゃいました♪

一昨日までの連勤。暇なときは本当に何もすることがない。。。ある日の受け持ち、3人ともチューブ・フィーディング(鼻・もしくは口から入っているチューブにてミルクを注入)だし、点滴もない赤ちゃんたち。多少の酸素は使うものの、あまりやることもなく暇すぎて困る。。。泣いたらすぐさま抱っこしてあやしてあげる。うーん、でも家に帰ったら、この子達、こんな手厚く構ってももらえるのか・・・?と疑問を感じつつも、やることがない私は手厚く「看護」。

しかし翌日の夜勤は打って変わってばたばた。急性期チームで仕事開始後、数時間にてあたらな入院。生まれて数時間後の赤ちゃん。たしか38週にて出生だったような。他院にて出生。でも、仮死が強く、筋緊張もあまりない。代謝を抑えるための低体温療法のためにうちの病院に転送されてきた。私自身まだ低体温療法の赤ちゃんをここで受け持ったことがないため、これは絶好の機会!と思い張り切ったところ・・・

「どうやら双子が入院になるらしい」

とリーダーさんより。その数分後に「Hadijaは悪いけど、別のチームで双子の入院よろしくね」と言い渡される。

すでに満床状態の病棟に、予定外の双子の入院ということで、スタッフも足りず、急性期チームで私とバックアップについていた人を分けることで、ケアのキャパを広げる、ということです。最近よくあることで。。。私は急性期チームにはいったものの、最近このパターンが多く、慢性期チームに舞い戻ってばかり。

よろしくね、っていわれて、急いで入院受け入れの準備。その直後にやってきた双子ちゃん。

この双子ちゃんたちは、お母さんが妊娠中にほとんど妊婦検診を受けていなかったため、双子ということが生まれてくるまでわからなかったそうな。一人目が生まれて、胎盤が出てくると思いきや二人目が生まれてきちゃったという、なんともびっくり仰天のケース。どうして「先進国」カナダでこういうケースが出てきちゃうんでしょうか。。。妊婦検診だって、無料でだれでも受けられるのにね。まぁ、無料だからありがたみがわからず、検診行かない人もいるのでしょうか。

出生直後は呼吸状態が悪かった双子ちゃんだけど、うちの病棟に上がってきたときはそれなりにおちついていてよかった。私はとりあえず自分の仕事の集中。点滴ライン確保が一発で成功して「いぇぇいぃぃ~」を心で叫ぶ。母体に感染兆候があったため、二人とも腰椎穿刺を行う(*こっちでは頻繁に腰椎穿刺を行う)。その介助をしつつ、オーダーの整理、なんだかんだで時間はどんどん過ぎてあっという間に夜勤終了。疲れたぁ~

最近連勤(夜勤)明けのあと、みんなで朝ごはんを食べに行くのが流行。チームリーダー的Ns:Pがいつも「Breakfastは何食べよう~」とにこにこしながらみんなを誘う。いつもぐったりの私だけど、今回はなんとなく参加してみた。

夜勤明けにしっかりNorth American的な朝食を食べ、帰宅後バクスイ。休み中はとにかくよく寝るHadijaです。

2008年4月4日金曜日

急性期チームでの仕事が始まりました

今日から4連休~!12時間シフトだと、こうしてまとまった休みがあるのがうれしいものです♪昨日の夜勤明けでも早速「Overtimeやらない~?」と電話かかってきたけど、まずはココロもカラダも休養が必要。


さて、昨日までの勤務はなかなか忙しかった。週末の慢性期チームでの日勤は、洗礼というか、新人としてのつきなのか、入院2件もあたりぐったり。。。でも、そのおかげで入院の流れはかなり把握できて、点滴も前に比べてスムーズに取れるようになった!点滴がうまくとれたときはおもわず、よっしゃ!とココロで叫んだものです。

最近は急性期チーム(重症度が高く、主に挿管されている赤ちゃんたちがいるチーム)での仕事が始まりました。急性期チームを「Level III」と私たちは呼んでいます。慢性期は「Level II」。ちなみにLevel Iはありません。

Level IIIでの受け持ちは、挿管ベビー2人か、挿管の重症ベビーを1人と、CPAP(Continuous Positive Airway Pressure:チューブを経由して、鼻につけたマスクに加圧された空気を送り、その空気が舌根の周りの空間を広げ吸気時の気道狭窄を防ぐ方法*Wikipediaより)での呼吸管理をされているベビー1人、もしくは重症1ベビー一人だけ、という少ない受け持ち。Level IIIで3人受け持つことはほぼ無いそうな。日本のときは、挿管ベビー4人受け持っていたことを考えると、恵まれた職場環境です。はい。

先日の夜勤、私はやや重症のベビーを一人だけ受け持ちました(もちろんバックアップについてもらって)。24週にて出生。現在生後2週間目。体重820g。生後数日目で腸管穿孔がおこり、現在オペ後10日目。NPO(禁食中)で栄養は点滴管理。敗血症を起こしているようだけど、循環状態は比較的安定していて、昇圧剤は使わず経過できている。ここで面白いのは、挿管してる赤ちゃんには鎮静目的でモルフィネ使います。オペ後だから、というわけであく、挿管管理の一つとして。この赤ちゃんは10mcg/hr使ってます。東京で仕事していたとき、通常の挿管管理でモルフィネなんて使わない、といったらみんな驚いてました。

久々に小さい重症の赤ちゃん。でも、比較的私の担当の夜はおとなしく過ごしてくれました。ほっ。

私がこの赤ちゃんを受け持っていた夜、おなじ部屋に2人の入院がありました。一人は32週で呼吸状態が悪くCPAP装着。もう一人は37週の双子の一人、なぜか呼吸状態がかなり悪く挿管。私は私の仕事に集中していたのですが、周りはばたばた。


ふと気付いたのですが、私はほとんど新生児科医に会いません。先日のばたばた夜勤でも新生児科医は登場しませんでした。会うのは、昼間の回診くらい。日本で仕事していたときは、入院時かならず新生児科医が付き添うものですが、こちらではTransport NurseとRT(呼吸療法士)が分娩室からNICUに赤ちゃんを移送してきます。病棟で一通り赤ちゃんの状況を整えると、そこには大体NP(Nurse Pracitioner)が登場して、診察そしてオーダーを出していきます。このNPがほとんど医師的な仕事をしているようです(NPという職種はまだ日本にはないようですが、NPは看護の修士コースで専門分野を勉強します)。



じゃぁ、新生児科医はなにをしているのでしょう・・・・??



前にもこの疑問を感じたけど、いまだに疑問です。最近Level IIIで見えてきたのは、新生児科医はおもに「コンサルタント」として位置しているように思えます。回診のとき、ずらーっとスタッフがいるのですが、主な報告をベットサイドNsがして、呼吸に関することはRT(呼吸療法士)が、栄養のことは栄養士が、そしてその報告をうけて、オーダーを出したり、変更したり、というのはNPや研修医がやります。そして、その際、総括的なコメント・アドバイスをするのが新生児科医???という印象です。


同僚たちに、

「日本の新生児科医は採血から点滴確保から、挿管もカテ挿入もぜーんぶやるんだよ」(*ここでは採血・点滴確保はRNがやるし、挿管もPICC・臍カテ類はNPやTransport Nurseがやる)

「当直も1週間に最低1回もしくはそれ以上あって、昼間は外来も受け持っているんだよ」(*ここでは当直は主にNPや研修医がやる。よほどの重症のときは新生児科医も呼ばれることがあるらしい?が)

「心臓や頭のエコーも新生児科医がやっているよ」(*エコーはエコー技師がやる)

といったらみんな驚いています。私も改めて「日本の新生児科医ってすごい仕事量をこなしているなぁ~」と振り返っているところです。あ、もちろん新生児科医に限らず。


腸管穿孔を起こした先ほどの赤ちゃんの話に戻りますが、このくらい重症でも、お母さんが望む場合はスキンシップをはかっていきます。カンガルーケアって、聞いたことありますか?これはお母さんの胸ので裸の赤ちゃん(オムツだけはつける)を抱っこすることです。お父さんとカンガルーケアをすることもあります。お母さんやお父さんの体温で赤ちゃんを保温することも出来て、かつ親子の絆を深めることが出来ます。そして抜管(気管内チューブを抜くこと)のときは、うちの病棟ではだいたいこのカンガルーをしながら行うそうです。その状況に立ち会えたらここで詳しく紹介したいと思います。

2008年3月28日金曜日

Overtimeの不思議

こちらのナースの雇用形態は①Full-time②Part-time③Casualと主に3つに別れています。

私の場合は外国人ということもあって、選択の余地無く①のFull-time雇用となってい(*外国人として雇用される場合はFull-timeが条件の一つ)、原則として週38.75時間の労働がきまっています。

②のPart-timeの場合は、Full-timeの労働時間の75%だったり50%という労働時間でシフトが組まれていきます。③のCasualは日本語に直しにくいのですが、Casualは働きたい時に自由に働ける、というポジションです。ちなみに福利厚生があるのはFull-timeとPart-timeのみ、Casualの人たちはありません。

現在どこでもNs不足が言われていて、わが病棟でも慢性的な人材不足なようです。日本の臨床時代を考えると、人が有り余っているような気もするのですが。。。。

まぁ、とにかく、人手不足ということで、休みの日はほぼ毎日病棟の人事から電話がかかってきます。主に「夜勤出て来れないかしら~?」と。ひどいのは、この間3連夜勤の合間に寝ている時に4夜勤目のお伺いの電話がかかってきた。寝ていて電話に気付かなかったけど。

こういう「予定外」の勤務をOvertimeと呼びます。ちなみに残業でないですよ。だって、残業なんて考え方はありえないし、サービス残業なんて論外。みんなきっちり時間通り、もしくはやや早めに帰ります。

予定外の勤務の魅力は時間給が2倍になること(日本での臨床時代は月給+ボーナスだったけど、こちらの職業の多くは時間給)。ということで、Overtimeを喜んでばんばんやっていくスタッフも居ます。でもそれはPart-timeなら出来ることで、Full-timeで働いているとなかなか厳しいです。私なんてとても無理。でも「お金のため」とFull-timeで働いている人でも時々Overtimeを引き受ける人もちらほら。私も慣れてきたら出来るのかなぁ・・・

で、不思議なのは、Full-timeのほうがPart-timeより働く時間が多いはずなのに、Part-timeの人たちのほうが多くOvertimeで働けるので、結果的にはPart-timeの人のほうがものすごく稼いでいるわけです。なんかとっても不思議に感じるのは私だけ???

Over-timeとは関係ないけど、たまにあるのが、Part-timeやCasualで働きながら、他の職場とのかけもち。今の病棟は外科系のケースをすべて別施設に送るため、外科のケースには遭遇できない。外科もやりたかったり、成人看護をやりたい場合は、他の病院・病棟と掛け持ちしている人もいます(今の職場はPart-timeで働き、他の職場をCasualというポジションで)。私がもしWork permitというしばりがなくなったら、こんな形で違う職場で経験してみたいなぁ、なんて思います。

2008年3月25日火曜日

イースター中のお仕事

夜勤3日間終了。現在体内時計を一般の人と同じように戻すため奮闘中。。。

この3日間は以前も受け持った三つ子ちゃん担当。みんな女の子で、珍しいことに2人は一卵性双生児。その二人はやはりそっくり。体重も3人ともほぼ同じ。ちなみにお隣にはこれまた三つ子ちゃん。こちらは34週で出生で、男の子2人と女の子。3人とも出生体重が2キロ越え。すごいです。(*三つ子ちゃんまで増えると、20週台の出生が多いので)

私が受け持った三つ子ちゃんのママは清拭から体重測定まで全部一人でやる。なので、体重測定と清拭は夜勤のメインともいえる仕事で、それをママがやってくれるので私の出番なし。おまけにまだチューブでミルクなので、この3日間は暇疲れだった。。。正直、こんなんでお給料もらっていいのか???と思うくらい。

この3日間はイースターのため、世間一般は金曜日から月曜日までの連休!でも仕事場では仕事をせねば・・・ということだけど、少しでも仕事場の雰囲気を盛り上げる気持ちは皆さん旺盛です。バニーガールというか、バニーナース(?)というか、ウサギの耳のようなカチューシャをつけて仕事していたり(クリスマスにサンタ帽子をかぶるようなノリで)、それも男性ナースもそんなことをしていたり。あとは、夜中にみんなでピザオーダーしたり。もちろん患者さん=赤ちゃんたちにも心遣い。だれが準備したのか、60人ほどの赤ちゃんたちに手作りイースターカードが配られたり。

(注:ちなみにこちらの仕事中のユニフォームは日本でのオペ着みたいなもので、日本での白衣にバニーちゃんの耳を想像しないでくださいね)

2008年3月6日木曜日

冬も終わりかな・・・?

最近のEdmontonは陽が随分長くなってきた。朝・晩の通勤・帰宅時も真っ暗でないことがかなり気分的にも影響するみたい?冬はとにかくずっと真っ暗だったような。。。夏になると朝は5時くらいから、夜は11時近くまで明るいココEdmonton。みんな夏が待ち遠しく、先日職場では「Good-by Winter, Welcome spring!」という理由でポットラックパーティー(食事を持ち寄るパーティー)をしていた夜勤チーム。まぁ、理由は何でもいいんだろうなぁ、と思う。みんな何かしらイベント好き。

最近ゼロ度前後で暖かくも感じていたけど、最近はまたしっかり雪が降った。3月4月はこの繰り返しみたいで、道はドロと雪でぐちゃぐちゃ。でも、このぐちゃぐちゃが「冬の終わりだわ」と喜ぶ人も。

仕事のほうはというと、独り立ちして楽しいときともがき苦しむときの繰り返し。

基本的な赤ちゃんの観察事項は問題ないと自分では思っているけど、それを業務のなかでやっていくのはまた違う・・・と感じる日々。

例えば、入院が来て、いろいろ準備するときもどうも勝手が違うことに戸惑う。点滴一つ用意するのでも、使う物品にまだなれず、そしてオーダーのコンピューター入力もまだまだなれない。他の人が数分でやることを私は人に聞きながら1時間くらいかかる始末。あぁぁぁぁ・・・・

日本での臨床はかなり昔の話・・・といえども、当時のやり方・チームワークに慣れていた私としては、ココでのやり方にまだまだ慣れることができない。

最近の連勤ではどーんと落ち込むこともあったけど、友人に「今はカメでもOK」という言葉に救われた。


日本は春一番がふいたとか。


私の気分も春に向かうかな。

2008年2月14日木曜日

患者としての立場では・・・

看護師として働く環境はこちらがとても恵まれていると思う最近。

でも、患者としては?と最近疑問。

随分前に風邪をひいた。喉がとにかく痛くって、鼻水・鼻づまりを繰り返す。日本にいたとき、こんな症状のときは耳鼻科(クリニック)にいって、喉鼻すっきりお掃除してもらっていた。花粉症がひどかったときも耳鼻科へGo。

怪我をして、骨までいっているかも?なんていうときは整形外科へ。

婦人科系で心配事があれば、産婦人科へ。

皮膚のかぶれや蕁麻疹なんかができたら皮膚科へ。

こうした、専門分野の受診は自分次第でいつでもどこへでもいけた(大学病院や大きな医療施設は最近紹介状が必要みたいだけど)。

ところが、こちらのシステムはぜんぜん違います。

まずは自分でFamily Doctorという人を見つける必要があります。しかし、医師不足のこの国で自分のFamily Doctorなるものを探すのも大変。新規患者を受け入れてくれないことが多いそうな。そして私みたいな新米者の場合はまずはWalk-in Clinicというところにいって、そこから紹介が必要な場合、専門医に回してもらえるそうです。緊急性がなければ、数ヶ月待ちなんてざらだそうです。

風邪をひいてひどい鼻炎症状がつらかったので、まずは薬局で相談してみた。「Walk-in Clinicに行っても、せいぜい抗生物質が出るくらいで、あとは薬局で買う薬とそう変わらないかも」といわれた。薬をもらうだけだったら、受診しなくてもいいや、と思い結局受診はせず。

こちらで友人となった方、最近妊娠がわかったものの、いきなり産婦人科に受診が出来ません。検査専門のクリニックで検査をして、その結果が後日Family Doctorにまわって、その時受診。でもここではまだ産婦人科の受診でもなさそうです。日本では妊娠の初期に超音波で胎児を確認するのが一般的みたいですが、こちらは妊娠中期くらいに超音波をするそうな?

日本はある意味お気軽に専門医に受診できるのだなぁ、と実感。特に女性としては、気軽に産婦人科に行けるって大事だと思います。

2008年2月10日日曜日

独りだち

昨日の勤務から初めて独りで業務をすることになった。今まではプリセプターという「お姉さんナース」がバックアップでついていたのだけど、そろそろ独りでいい頃でしょう、という評価をいただき。といっても、同期5人では一番遅いデビュー。みんなはとっくに1月には独り立ちしていました。早い人は12月。

まぁ私の場合、英語の壁もあるし、システムもぜんぜん知らないで入ったので、管理職はじめ教育係、先輩ナース含め、みんなが「ゆっくりでいいのよ」と有り難い待遇でした。

独り立ちといっても、あくまでも落ち着いている赤ちゃんたちのケアチームにて。急性期には3月の下旬にうつるので、そうしたらまた先輩ナースについてもらってスタートとなります。

昨日の受け持ち:3人

Aベビー:28週にて出生。現在生後39日目。体重約1.9キロ。NGチューブ(鼻から胃内にいれるチューブ)と経口哺乳(哺乳瓶か直接母乳)の併用中。

Bベビー:35週にて出生。生後6日目。体重約2.3キロ。ビリルビンの値が高く(新生児黄疸)、光線療法中。お母さんが病院の宿泊施設に泊まっていて、直接母乳にて好きな時にいくらでもおっぱいを飲む(いわゆる自律哺乳という)。

Cベビー:25週で出生。生後75日目。体重約1.9キロ。未熟児として今まで険しい経過をたどりながら、現在は落ち着いて点滴も酸素もなし。体重増加を待って早く家に帰れることを目標中。

Bベビーは基本的にお母さんがすべて関わっているので、ほとんど私の手は必要なし。それにしても、入院中の赤ちゃんに付き添うためのお母さんのための宿泊施設があるって、素晴らしい。時には重症な赤ちゃんの家族が宿泊できる「Family room」というのも数は少ないけどある。こういう「治療上必要な家族の宿泊」は無料だそうです。うーん、ますます、すごい。

Aベビーにはお兄ちゃんが2人いて、家族は車で1時間以上はなれたところに住んでいるため、お母さんは面会は毎日数時間。それでも一緒にいられる時間はたっぷり一緒にいます。Aベビー、小さいといえども、それなりに意思表示はあり、たとえおなかがすいていなくても、オムツがぬれていなくても、最近は「抱っこしてー!」といわんばかりに泣いてきます。なので、お母さんがいないときは私が代わりに抱っこしたり、経口哺乳が出来そうなときは哺乳瓶にお母さんが搾乳した母乳をいれて(冷凍庫・冷蔵庫で保存しているのです)おっぱいをあげます。こういう時間、仕事といっても好きなことなので幸せなひと時です。

ちなみにこのAベビーはうんちの出に難があり、いつも苦しんでいます。昨日はおしりを拭いた時に「ぶりぶりぶりぃぃぃぃーーーー」と多量に出てきてすっきり。私の手はウンチまみれだけど、まぁ、赤ちゃんのうんちなのでかわいいものです。(大人とは量も質も違う!)

そしてCベビー。長期入院となると、家族とのかかわりも色々あります。Cベビーのお母さんは「哺乳瓶は使いたくない」といいながら、でも毎回の授乳には来ない、と少々矛盾。病院の宿泊施設に泊まっているのですが、夜は「休みたい」そうです。でもね、家に帰ったらそうはいってられないのに。。。

哺乳瓶が使えないとなると、NGチューブでの「経管栄養」となります。でもNGチューブのままではおうちに帰れません。チューブが必要な病気の赤ちゃんもいるけども、このCベビーの場合は明らかにおっぱいの練習が必要なので。

でも、お母さんはおっぱいの練習を「毎回は赤ちゃんにストレスがかかる。うちの子、おっぱいの練習を始めてから疲れやすくなった」という訴え。そして「他のお母さんたちは、おっぱいとNGチューブの交互でやっている。そのほうがいいみたい」と比べてくる。うーん・・・他のベビーとこの子とはまた違うのに・・・

このCベビーの退院はいつになったら現実的に考えられるのか。まだまだ時間がかかりそうです。

2008年1月22日火曜日

いろいろな違い

私の職場は入院受け入れ枠最大62床の病棟。大体最近は55床くらいで落ち着いている。東京で働いていたときは52床。なので、規模としてはあまり変わらないはずだけど、スタッフの数は大きく違う。日本のときは確か70人くらいだったけど、こちらは200人以上!これでも30人くらい人が足りないみたい。改めて、日本での労働環境の苛酷さを感じます。


入院患者つまり赤ちゃんのバックグランドもまた随分日本と違います。なんといって多国籍。宗教も様々。英語が母国語でない家族も沢山。

そして私の勤務する病院はここエドモントンでも治安がよろしくない地域にあり、そのためか様々なケースに遭遇します。10代のシングルマザーや、日本ではきいたことがあっても実際には遭遇しなかった感染症のケース。あとはこちらの文化ならではなのか、麻薬使用者から生まれた赤ちゃんも珍しくないという悲しい現状。

この麻薬使用歴のある母親から生まれてくる子供は本当にかわいそう。赤ちゃんでも「禁断症状」というものが出るのです。最初にこのケースに遭遇したとき、「やけにずっと泣く赤ちゃんだなぁ」と思ったら、禁断症状でした。甲高く泣き続けて、吐いてしまう。これの繰り返し。ほんとかわいそうです。。。

こういうケースの場合、赤ちゃんに鎮静をかけていきます。そして少しずつ鎮静剤の量を減らしていくのもなのですが、母親が母乳をあけがなら麻薬を続けてしまうことも。その場合、母乳を通じてまた赤ちゃんに麻薬が伝わってしまうので、治療の意味なし。


新米の私は色々ショックを受けながら新しいことを学んでいるところです。

2008年1月11日金曜日

約1ヶ月経過

臨床での仕事が始まって約1ヶ月が過ぎた。

仕事といっても、気分はまるで学生時代の実習のよう。何をするにもすべて人に聞かないと事が進まない。物品の位置がわからない、書類の整理・処理の仕方がわからない。業務の進め方も日本のときとはぜんぜん違う。1ヶ月経ってやっとなんとなくの流れが見えてきたなぁ・・・という気分。独り立ちにはまだまだ程遠いけども。

日本でのNICUの経験があってよかったと思うことが多いけども、日本での経験がある分混乱することも。どちらがいいんだろう?

違うことは沢山ある。大きく違うのは専門職の多さだろうか。日本だと病院で働く専門職はたいてい医師と看護師、あとは助産師くらい。でも今の職場では、医師、看護師(RN)、専門看護師(NP: Nurse Practitioner)、栄養士、呼吸療法士(Respiratory Therapist: RT)、Lactation consultnt(母乳の専門家)などなど。RNの中でも更にトレーニングを受けたTransport Nurseという立場の人もいる。(*Transport Nurseは移送が必要な時に付き添ったり、医師がいない施設に出向いて蘇生を含む処置を行ったりする)

挿管(呼吸を補助するために気管にチューブを入れること)は主にNPかTransport Nurseが行い、普通の静脈からの点滴ライン確保や採血はRN、お臍からとる点滴ライン確保はNPが行うという。呼吸器の管理は主にRTが行う。栄養面のアセスメントは主に栄養士がしている(様子?)。

そこで私の疑問。


じゃぁ、医師はいったい何をするのでしょうー??


だって、オーダーの入力までうちらRNがやるのです。。。(医師はオーダーをカルテに書くまで)

まだ医師の方たちとあまり関わることもなく、よくわかりません。でも沢山いることは確か。顔写真のファイルをみると10人以上いるみたい。

これから色々探ってみます。

2008年1月3日木曜日

新年あけました

カナダでの2回目の年越し。

去年はあまり年越し気分もお正月気分もなかったけど、今年はエドモントンで友人となった人たちにお招きいただき、とっても日本的な気分で楽しく年越しと元旦を過ごせた。K&Gご夫妻、KWご夫妻に感謝です。

自宅では最近通ったばかりのテレビがつけっぱなし状態。別に見ているわけでないのだけど、なんとなくつけてしまう。なければないで観ないテレビだけど、あるとこうなってしまう。。。

ここ最近のニュースで話題はケニアの大統領選挙をめぐっての暴動。年末からどんどん状況が悪化している。罪のない人たちが血を流し、死亡している。今日のニュースでは、教会に逃げていた人たちが焼き殺されたという。子供も含まれていた。

だれもが理不尽だとおもっている今の状況。でもどうにも止らない。現地時間の3日にまた大きなイベントがあるということで、状況が悪化する可能性がある。

大統領選挙の2人の勝ち負けが原因でここまで火がが広がってしまっている。何が正しくなにが間違いは、100%わからないけども、罪のない人たちがこんなにも傷つき・亡くなっている状況を、選挙に勝った人・負けた人はちゃんと考えているのだろうか?

2008年1月1日火曜日

2007年を振り返る

本日12月31日。日本はもう年明けだけど、こちらエドモントンはマウント・タイムゾーン。まだ昼間です。ということで、1年を振り返ってみる。

1月

アルバータ州の看護協会に申請する書類準備。書類の一つに翻訳が必要で、翻訳家のYuさんにであう。このYuさん、その後私のエドモントン・ライフでは重要人物となる。requirementの一つである英語のスコアをTOEFLでとるために準備を続ける。

2月

たしか1月終わりか2月くらいに看護協会に書類を提出したような・・・・?TOEFLを3月に受けるべく、引き続き引きこもりながらTOEFL対策。しかし、日々引きこもり、雪ばかりの景色をみてブルーになりがち。Yさんを通じ、Yoさんとも友人となる。

3月

アルバータ大学の公衆衛生に東アフリカでHIV・AIDSに関するリサーチをしている先生を発見。急遽会って、大学院申請をしてみることに。長く短かった準備期間約1週間では色々な経験をした。結果は不合格だったけど、このときの申請プロセスでは貴重な経験を沢山して悔いは全くなし。

4月

1ヶ月東京に帰る。両親と温泉にいったり、韓国旅行、関西旅行と旅行尽くし。美味しいものも山盛り食べて、日本を満喫。数年ぶりの桜も満喫。日本のよさを沢山実感しながら、後ろ髪惹かれる思いで、再びエドモントンに戻る。

5月

エドモントン不在だった間にアルバータ州の看護協会から「Graduate Nurseとして働いても良い」「Canadian RN examを受ける資格あり」との通知を受ける。まずは試験勉強のための問題集を購入。しかし、最初に本を開いたときは1問とくのに数時間かかるというレベル。英語の医療単語やシステムのちがいにちんぷんかんぷんで固まる。。。

就職活動はなにから始めていいのやらさっぱりで、10月の試験が終わってから考えよう、、、と思ったいたところ、友人Yoさんのご主人に「ビザのことは時間がかかるから、早く動いたほうがいい」というアドバスがあり、動くことに。とりあえず、色々な機関に突撃訪問したり、電話したり。その中から今の雇用主であるRegional Health Authorityの人事課から連絡があり、簡単に面接。レジメを渡して、連絡待ちとなる。

6月

居候先でのトラブルからかなり落ち込む日々。就職先となりそうなところ(NICU: Neonatal Intensive Care Unit)から面接の連絡がある。無事面接をするも、プライベートではすっきりせず、日本に帰ることを99%決める。しかし、その直後また気を取り直し、エドモントンに留まることをきめる。そして居候生活から抜け出すことをまず第一として、インターネットで探したルームメイトのところへ引っ越す。

7月

素晴らしい夏の気候のもと、ひたすら図書館通い。気付いたら、7月。RNの試験対策がほとんど出来ていなかったことにあせりを感じ、あと3ヶ月とあせりながら勉強をはじめる。同時に就職がほぼ内定、ということでビザの情報収集を始めるも、ビザなしの身分から、カナダ国内でビザ獲得という情報があまりないことに気付く。友人Yoさんとご主人に沢山相談に乗ってもらいながら、ひたすら情報収集。

8月

就職がどうやら本当に決まったということで、更に必要な書類集めへ。日本の両親に日本の書類に関して沢山助けてもらう。カナダで医療者として働くには健康診断を受けなければいけない、ということで、移民局指定病院に電話をかけまくるも、連絡がなかなか取れない状況にイラつく。しかし、結果運よく、8月中に受診できることに。この健康診断がこの時期受けられなかったら、実際のビザ獲得、仕事開始はおそらく2008年以降になっていただろう・・・

9月

試験まで1ヶ月。ビザのことでストレスフルな日々を送りながら、ひたすら図書館通い。とにかく必死だったことしか覚えていない。

10月

10日に無事試験を受ける。無我夢中で試験問題をほとんど覚えていないが、Clinicalなことより、「この状況ではどの選択肢がベストか?」といった問題ばかりが目に付いた。ひたすら英語を読み続け、計7時間約300問の問題を解き終えたのは試験終了の合図がなる直前。見直しもまったくできず、放心状態で帰宅。たぶん2007年で一番疲れた日だったような。

試験の翌日、だめもとで健康診断の結果が移民局のシステムに入ったかを確認したら、なんとシステムに入っていたことを確認。驚きながら、次の行動を模索。どうやらシアトルまで行かないといけないらしい、というこで、急遽シアトル行きの準備。

シアトルでの申請に持っている書類をすべて持っていって大正解。当初提出するはずだった書類以外にも提出を求められて、ドラえもんのポケットのように次々といわれる追加書類を提出。そして無事ビザのapprovalをもらい、安心したせいか、エドモントンへの帰路から熱発。エドモントンで入国の時、無事Work permitをもらうが、熱のせいで感動もいまひとつ。ずっと持っていた10月20日バンクーバー発成田行きのチケットを19日にキャンセルを終えて、ひたすらそのあとは休養。

無事ビザが取れたことを雇用主と病院に報告。仕事開始日が11月26日と決定。

11月

通勤環境を良くしたい為、引っ越すことに。住宅事情が非常に悪い(質が悪く値段が高い。かつ物件がない)中、通勤にとても便利な場所で、値段もまずまずのアパートを見つけて無事入居。前の入居者がとんでもなく荒らしたため、ほぼ全部改装されてラッキー。古いアパートだけど、最上階(といっても6階)の東南角部屋の景色を日々眺めて癒される。

引越し前後にYuさんを通じて新たな友人Yaさんとの出会い、そして引越しを通じて知り合いが増えていく。

26日から職場でオリエンテーション開始。学生並みに勉強の日々。

30日。RN(Registered Nurse:看護師)の試験結果が合格と届く。言葉にならないうれしさだった。

12月

座学のオリエンテーションを終えて、いよいよ臨床へ。プリセプターについてもらい、日々新しいことを学ぶ新鮮さを楽しむ。12月はとにかくあっという間に時間が過ぎて、気付いたら本日31日。



ここ数年、1年を振り返ると「今年は怒涛だったなぁ・・・」といつも思うが、今年はかなり大きな転機だった。数ヶ月前まで職なし・ビザなしだった私が、今は看護師として病院で働いてお給料をもらい、生活している。

この1年、沢山の人たちに、沢山サポートしもらって今の自分があります。


皆さん、どうもありがとう。